2月14日:バレンタインに思う 

2月14日(木)バレンタインに思う 

 

 久しぶりにブログを書く。サイト作業自体、しばらく怠っている。別に怠るつもりはなかったのだけれど、何かと忙しく過ごしていて、そこまで手が回らないというのが実情だ。 

 

 この二週間というもの、本業の方と二つのアルバイトのどれもがそれなりに忙しかった。それと二月に入って、職場の大掃除をやった、年末にはできなかったからだ。この大掃除が曲者で、今まで手を触れなかった部分まで手を伸ばしてみたところ、収拾がつかなくなってしまった。十日間でやってしまおうと計画していたのだけれど、予定していた部分のすべてはできなかった。 

 

 おまけにこの数日、体調がよろしくない。不眠不休でも活動できるくらい活力にあふれていた時期が過ぎて、今はしょっちゅう睡魔に襲われる。来週は本業が暇週に入るけれど、新たな作業が増える予定だ。これに関しては後日このブログで告知しようと思う。まだ決定していないから、今は控えておく。 

 

 さて、そんな日々を過ごしている中で、今日はバレンタインなどという男女ともにあまりありがたくない日である。僕は要らないと言ったのに、Yさんがチョコをくれた。物を貰うと気を使ってしまうので、あまりいただきたくないのだが、Yさんからのものはありがたくいただいておこう。 

 

 しかし、バレンタインという日も毎年代わり映えしないなという感じが僕はしている。「義理チョコ」とかよく言うのだけれど、「義理」って何なんだと思う。恋愛感情抜きで、お世話になっているからというのであれば、「義理」よりも「恩チョコ」と言った方が柔らかくていいと思うのだが、いかがなものだろう。「義理」っていうと、「嫌々ながら」というニュアンスも感じてしまうのは僕だけだろうか。 

 十代の頃は、この日は特別意識してしまう日だったけれど、二十代の前半から、どうでもいい日になった。ごくごく普通の一日という感覚になっている。誰からもチョコを貰えなくて、なんで腐る必要があるだろうか。僕はそう思う。たくさん貰った人が人間的に優れているとも言えないだろうから、貰ったか貰えなかったかとか、いくつ貰ったかで競ったりとか、どうでもいいことではないか。実際、女性にモテモテの男性で悪いことをした人もたくさんいるのだ。 

 

 外側の祭り事に振り回されずに、自分の生をまっとうできれば、僕はそれだけで十分だと思うようになっている。静かに自分の生を送りたいと僕は願う。細々と生きていければそれでいいし、その方が僕の性に合っている。第一線でバリバリやりたい人はそうすればいいし、有名になりたい人はそうすればいい。僕はそれを望まない。 

 高槻で開業してからまる8年が経過した。その間に二回くらいテレビ出演の依頼があった。まあ、ローカル番組のワンコーナーの一回答者くらいの依頼だ。僕はすべて断っている。公共の電波に乗るような人間でもないし、有名になろうとも思わない。僕が断れば、テレビ局の人は他を探すだろう。有名になりたい人はどうぞ、前へ前へと出たい人はどうぞそうしてくださいという感じだ。 

 こういう僕を好いてくれる人とだけ一緒に仕事ができればいいと思うし、そういう人にだけ力になれたらいいと思う。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

 

関連記事

PAGE TOP