2月12日:コロナ禍を生きる~コロナとらい

2月12日(金):コロナ禍を生きる~コロナとらい

 

 らい病という病気がある。らい菌による感染症のことである。菌を発見したノルウェーの医師ハンセンの名を取ってハンセン病とも呼ばれる病気だ。

 日本は1907年にらい病に関する法令が作られた。この病気は感染するので発病者は強制隔離しなければならないとされた。

 確かに、重症化すると皮膚が著しく荒れたり、手足が変形したりするというのだから恐ろしい病気である。

 その後、この病気に関してさまざまなことが判明してきた。実は感染力はさほど強くなく、感染しても発病する人は少ないということもわかってきたのだった。1940年代にはアメリカが薬を発明してらい病は完治する病気と認識されるようになった。

 日本は、1907年以後、30年代と50年代に二度の法令改正が行われたが、強制隔離はそのままだった。世界からは日本のこの処遇は厳しすぎるといった批判も出たそうである。それでも日本は法改正をしないまま感染者の隔離を続けてきた。これに終止符を打ったのは1996年の改正である。

 1940年代には、これは感染力も弱く、薬で完治する病気であると世界的に認識されていたにもかかわらず、もはや強制隔離は必要ないと知られていたにもかかわらず、日本がその認識に追いついたのは50年も後のことだったわけだ。

 とかく、日本はどういうわけか世界と歩調を合わせることが少ないのだ。それが世界の常識になっているのに、日本だけ半世紀前の常識に留まり続けていたりするわけだ。それは21世紀のコロナ問題でも綿々と引き継がれているようだ。

 今回のコロナでも、世界が、他の国々がやっていることが、なんで日本ではできないのだろうと不思議に思っていたが、考えてみれば、それが日本の伝統的な在り方だったのかもしれない。それは日本が開国して、西洋のものを取り入れ始めた時から続いている伝統なのかもしれない。日本が取り入れた西洋は、西洋の中ではすでに古くなっていたものだったという。

 らい病の時でも日本は時代遅れなことをやってきたわけだ。世界から見てずっと昔の常識であったものにしがみついていたのだ。森会長の女性蔑視発言に対して時代錯誤的であるといった批判もあるが、そもそも日本がそういう国であるのかもしれないのだ。

 

 今日、オリンピック委員会の会長が森から川淵という人に交代した。ワイドショーでひたすらそればかりやっていた。僕は川淵氏なる人を知らない。1964年の東京オリンピックのサッカー代表選手だったそうであるが、どんな人であるかは全く知らない。その方面では凄い人なのかもしれないけれど、僕の印象では、代わりにやろうという人が他にいないのだなということだった。

 まあ、川淵氏のことはいいとして、結局、これも同じことなのではないかという気がしているのだ。オリンピックをやりたがっている面々は1964年のものを再現しようとしているように僕には見えてしまうのだ。50年以上前のものを、当時の感覚のままでやろうとしているように僕には見えてしまう。森会長の発言も、1964年当時であればここまで問題にならなかっただろうとも思う。いろんな利権がらみの話も当時だったら、これだけ大きなイベントなんだからそうなるのも止むを得ないことだから仕方ないなどと国民も思ったかもしれない。何もかも当時の感覚でやろうとしているのではないかと思えるわけだ。

 日本はもっと科学的なデータに基づくべきだといった批判もある。外国からの批判だ。外からはそう見えるのだろう。僕にはそうは見えない。より新しいもの、外国における正しいもの、望ましいものを取り入れるべきだ、諸外国と歩調も合わせるべきだと、このように思うところである。

 

 日本がどういう国であるか、この国の国民であるということはどういうことであるか、コロナ禍を契機に、僕たちはそこを問い直してみてもいいのかもしれない。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

関連記事

PAGE TOP