12月9日(水):込み上げてくるもの
いつかこれが襲ってくるとは予期していたが、今日は激しい怒りを内に感じ取りながら一日を送った。11月30日のあの一件の後遺症だ。何度も経験したから知っているのだ。ああいう人とああいう経験をした後、しばらく不快感が続き、その後に激しい怒りが襲ってくるというのが、僕のパターンだ。この怒りは、過度の活動で消費されないといけない。僕の場合、それ以外に発散する手立てがないからである。
昨日、テレビを見ていると、やたらとゲームのCMが目についた。みんな、そんなにゲームばかりしているのかという印象を受けてしまう。そこで、そう言えば、人々がゲームに耽っている社会を描いたSF小説があったなと、ふと、思い出す。
それはフィリップ・K・ディック『タイタンのゲームプレイヤー』だ。昔読んだのを思い出した。実家の本箱を漁って、見つける。今日から少し読み始めてみる。
今日、午後からのクライアントがキャンセルした。昨日、留守電に吹き込んでくれていた。昨夜、チェックしておけばよかった。今朝になって知った。でも、何となくだけど、前回の面接終了時に、僕は「あ、この人はもう来ないかもしれないな」と感じたのを思い出した。
まあ、そういうわけで、急遽、空き時間が生じた。これ幸いとパソコンのデータ整理をする。置きっぱなしにしていた携帯電話にもメールが入っていて、それに返信する。
当分、プライベートでは人と会う気がしない。実は今晩も飲みに行く約束をある人としていたのだけれど、気が乗らないので止めた。
明後日には、また別の人と飲む約束をしていた。先週知り合った大学の先生だ。彼とは会いたいと思うのだが、どうにも気分が乗らない。もう、年内は独りで過ごそうかと、そんな気持ちになっている。
まだ、あの女性が僕の心にまとわりついている。物凄い「浸食」感に襲われている。正直、僕は彼女が恐ろしい。あれ以前にはそんな感情はなかったけれど、今は彼女がとても「怖い」と感じている。
でも、正確に言えば、あの女性と縁があった自分が忌まわしいのだ。彼女が悪いとも言わないし、彼女のことをどうこう言うつもりは今ではない。ただ、僕自身が不快なのだ。自分自身に不愉快なのだ。
僕は自分の臨床経験から学んでいることがある。それを科学的に証明しろと要求されると困るのだが、あくまでも僕自身の感覚的なものでしかない。ただ、この感覚は割と当てになる。それはこういうものである。相手と会って、会話をしていて、「ぞっとした」気持ちに襲われたり、「不快感」を僕が感じた箇所は、必ず、相手の抱えている「病理」がそこに関与しているという一つの勘である。
だからそこには彼女の抱える「病理」があるはずである。でも、それは彼女に属する事柄だから、ここでは取り上げないことにしよう。
あの日、11月の30日のことだが、彼女と会っていて、その別れ際の攻防で、僕は自分の心的なバランスが崩されていくのを感じていた。普段の僕だとしないようなことをしていた。上手く言えないのだけれど、本当に心のバランスが崩れていくような感覚があった。今の怒りはそのことに対するものだ。そして、この怒りはそのバランスを取り戻すための入り口のような段階なのだ。今しばらく、この状態が続くだろう。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)