12月4日(水):モグラたたき
昨夜見たテレビのことを考えていた。昨日(3日火曜日)の晩は家で過ごしていて、23時頃に手が空いたのでテレビでも観ようと思った。特に見たい番組があるわけでもなく、テレビをつけ、適当にチャンネルを回し、気になったものを見る。いくつかの番組を行ったり来たりして見た。
いくつか見た結果、やっぱりテレビは下らんという感想を得ただけだった。
一番ましだったのは、雨上がり決死隊さんの番組のコーナーで、グルメサイトで低い点数の店は、実際にはどんな感じなのかを調査するというものだった。見ていると、グルメサイトの点数がいかに当てにならないかを実感する。そもそも、僕たちは飲食店にその店の料理を食べに行くのであって、点数を食べるわけではないのだ。それに客を選んでしまう店ほど低得点になるという点数制度も僕には疑問に思える。5段階評価にて、10人中2人は5点満点、残りの8人が1点という評価を下したとすると、その店の評価は1.8になる。これは10人全員が2点の評価をした店より下になってしまう。
次にましだったのは、同じ番組で、夫の趣味に困る妻のコーナーだった。趣味という概念は男と女とでは差異があるように僕は思う。でも、夫が趣味を楽しめるというのは、その夫婦が上手くいっていることの一つのバロメーターになると僕は考えている。と言うのは、離婚した夫婦や危機状況にある夫婦とお会いすることも僕にはたびたびあって、彼らの話を聴いていると、そのような状況では趣味どころではないということが分かるからだ。基盤がしっかりしているから、また、その基盤に信頼がおけるから、趣味もできようというものだ。
もっとも下らなかったのは、これは有吉さんの番組だったが、「モグラが地面から顔を出すというのはデマ」であることを検証したものだ。このデマの出所として「モグラたたき」を挙げ、「モグラたたき」の家庭用ボードゲームを製造しているバンダイさんを取材していた(まるでアホだ)。そして、今後、「モグラはこんなふうに地上に顔を出すことはありません」という但し書きを添えるように言っていた(さらにアホだ)。応対したバンダイの社員さんも「検討します」とそれに答えていた(さらに輪をかけたアホだ)。
ゲームや遊びには象徴的な意味合いがある。その象徴性を、たとえ意識していなくても、楽しんでいるわけだ。この番組の制作者に象徴性を理解する能力が欠けている(現代人は多かれ少なかれ皆そうだが)と僕は思った。
モグラというのは地中に住んでいて、よく分からない動物だった。よく分からないという存在は畏怖の念をもたらす。そういう恐ろしいものは表面に現れて欲しくないと願うものだ。だから、地中のモグラを地中に送り返してあげるというのが、「モグラたたき」ゲームの有する意味だと僕は考えている。ここで言うモグラは、無意識にあるものを表象しているもので、それが意識に上がってこないように抑圧する構図と通じているものであるように僕には思える。
だから、怖いものが表に現れてきたら、それを下に送り返しましょうというのが、モグラたたきゲームの象徴的意味であり、それは恐ろしいものの抑圧を推進するものであると僕はそのように考えている。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)