12月30日:笑い 

12月30日(日)笑い 

 

 昨日と今日は年末のアルバイトに行っていた。この両日のアルバイトはここ十数年の恒例行事となっている。そこに行くと、今年も終わりだなといつも感じる。 

 でも、この二日間は少しきつかった。気力が涌かないのだ。このバイトもこの辺りが潮時なのかもしれないなとも思う。二日間、アルバイトをしていても、本業の方が気になって仕方がなかった。12月に新規で来られたクライアントのことや、電子書籍の件や、このサイトのことなんかのことで一杯だった。アルバイトの方に集中できないでいた。いつもなら、このアルバイトは気分転換みたいな役割があったのだけれど、今年はそうはいかなかった。 

 寒いのと体力の衰えということも気力が萎える一因だ。今日は雨の中の仕事となった。雪よりかはましかもしれないけれど、雨も困ったものだ。びしょ濡れになって仕事をした。だんだん、そうして働くことに嫌気がさしてきた。 

 帰ってからは、家でゆっくりしようと考える。久しぶりにテレビを見ようと思う。帰宅して、家での雑用を少しばかりこなして、それからテレビを見る。ビートたけしさんと笑福亭鶴瓶さんの特番だ。この特番は毎回視ている。どういう訳か、今回はあまり面白いとは感じなかった。番組が悪いのではない。番組はそれなりに面白かったのだろう。僕の方がテレビを愉しむことができなくなってきているだけのことだ。だんだん、僕の心がテレビを受け付けなくなっているようだ。お笑い系の番組は特にそうだし、ドラマなんかに至ってはさらにひどい。それに頻繁に挟まれるCMにもうんざりだ。スポンサーも出資できないのだろう。だからCMも偏る。ケータイの会社か保険会社か製薬会社か、あるいはパチンコのCMか、それらを頻繁に目にするように思う。まあ、これは僕だけかもしれないな。 

 Yさんはお笑い番組が好きだけれど、僕はもうそこに魅力を感じない。僕もかつてはお笑いが好きだったけれど、今はまったく魅力を感じないし、面白いとも思わない。確かに面白い話なんかを見ると、僕は笑う。そうして笑っている僕は幸福でもなんでもない。ただ、目の前の画面で展開されている事柄に対して笑っているだけだ。芸人さんたちが面白いことをする。それを見て笑っているに過ぎないのだ。僕自身が幸福だから笑っているのではないのだ。そう思うと、お笑い番組を見て笑っているということが、なんと不毛なことかと思われてくる。 

 人間、笑うことは絶対に必要だ。哲学者とは笑顔が似合わない職業の最たるものだと僕は実感しているのだけれど、難しい顔をしているよりかは、笑う方がいいだろう。でも、できることなら、その笑いは自分の幸福感から現れたものである方がいいと思う。 

 人から笑われるのは嫌だけれど、人を見て笑うのは好きだとおっしゃる方々も、きっと今の日本ではたくさんおられることだろうと思うから。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

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