12月3日:コロナ・ジェノサイド~ワクチン接種実現するのか

12月3日(木):コロナ・ジェノサイド~ワクチン接種実現するのか

 

 感染症に関する従来の考え方では、感染しても発症しなければオーケーみたいなところがあった。無症状は問題とならなかったことが多いと思う。コロナの厄介なところは無症状でも問題になるということだ。無症状者がウイルスをばらまくみたいな言い方をされると、あたかも無症状者が悪人みたいに見えてしまう。しかし、決してそんなことはない。検査の不足が一番の問題である。

 国民皆検査がいまだに実現していないことが問題である。僕は今でも自分が感染したのかどうか知らない。

 ワクチンへの期待が高まっているけれど、ワクチンは微量のウイルスを注入して抗体を作ることが目的であるわけだ。いろんなワクチンがあるけれど基本的にはそういう考え方のようだ。それなら、ウイルス保持者にはワクチン接種は控えなければならないということになる。

 時にインフルエンザでそれが起きる。ワクチン接種したら発症したというパターンだ。治療法が確立されていればそうなっても対処はできるだろう。治療法が確立されていないとか、治療する病院が無いということになれば、ワクチン接種の前にその人がウイルスを保持しているかどうかの検査が不可欠になるのではないかと僕は思う。もっとも、僕はその方面では素人なので僕の考えが正しいとは自分でも信じていないのだけれど、僕の個人的な見解ではそうである。ワクチンの前に検査である。

 政府は国民全員にワクチン接種ができるようにするとは言うのだけれど、僕は信じていない。皆検査が実現できていないのに、皆接種が本当に実現するだろうか。

 ちなみに、僕はワクチン接種を受けないかもしれない。受けるとしても先に検査を受けたいと思っている。願わくば、検査と接種がセットになってほしいところである。

 

 その検査であるが、検査を受けることのできる人でも敢えて受けないという人もあるらしい。自ら意図的に検査を拒否するのだ。会社からの指示でそうなっているという人もある。

 理由は簡単だ。誹謗中傷に晒されるのを回避したいからである。ネットでゴチャゴチャ言う連中がコロナをさらにひどくする。一つはコロナである、もう一つは政府である。そして最後にネット連中である。この三者が日本を滅ぼすと僕は考えている。

 感染してしまった人を気の毒に思わないのだろうか。彼らは好きで感染したわけではないのだ。もちろん個人的なミスというものは重箱の隅まで探るような真似をすればいくらでも見つかる。そこを叩くのは簡単である。感染した人は発症の恐れを持つだろう。発症したら重症化の恐れを持つことだろう。重症化すれば生死を彷徨う体験をしてしまうことが言われているのでそれもかなり恐ろしいことだろう。この恐怖と不安に晒され続けてしまう人たちに同情することはできないのだろうか。少しでも労わりや励ましの言葉を発しようとは思わないのだろうか。

 ウンザリするような世の中である。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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