12月27日:女性友達に捧げる(17)

12月27日(火)女性友達に捧げる(17)

 

 彼女と交際していると、一体どういうつもりなのだろうと思うようなことがたくさんあった。その一例を書こうと思う。

 ある時、彼女は僕の仕事場へ来た。僕も時間が空いていたので、しばらくお喋りをしていた。彼女がトイレに行くと言って部屋を出た。僕は待っているのだけど、彼女はなかなか帰ってこない。少し心配になった。大丈夫だろうかとか、今日は具合が悪かったのじゃないだろうかと。迷ったのだけど、もうしばらく待ってみて、戻って来ないようだったら、トイレに行ってみようと決心する。しかし、その後、間もなくして彼女は帰ってきた。彼女は「トイレが汚れていたから掃除してきた」と言うのである。

 僕には謎のような言動である。一応、彼女の言葉を額面通り受け取って、彼女はトイレの掃除をしていたということにしよう。それが悪いことだとは僕は思っていない。実際は、彼女はそんなことをする必要はなかったのだけれど。しかし、一旦戻ってきて、「トイレを掃除しておきたい」とでも伝えてくれたらいいものである。

 僕は真っ先に「僕から逃げているな」ということを思い浮かべた。言わば、「時間稼ぎ」をしてきたようにしか思えないのである。もしくは、僕に心配させたかったのかもしれない。もし、そうだとすれば実に幼稚な手段である。

 その日、僕の何が彼女を追い詰めたのか、僕自身は理解できないでいる。いつものような会話をしていただけである。取り立ててケンカしたわけでもない。何かが、彼女をしてこの場に居られなくさせてしまったのだろう。それが何なのかは、永久に謎である。僕の何かがそうさせたのか、それとも彼女の側に何かが起きたのか、不明である。

 彼女は一見すると自由奔放のように見えるのだけど、実際はそれほど自由な人間ではないのである。神経症的な束縛に雁字搦めの状態で日々を送っているのである。僕にはそのように見えるのだ。わずかな誘惑でさえ、彼女は引きずられてしまう。洋服が目に留まると、その洋服の魅力に抗うこともできず、流されるようにして購入する。服は着ればいいのだからいいのである。食べることも同様である。夜、お腹が空いたとなれば、車を出してまで食べに行くのである。欲求や誘惑に自らを明け渡してしまうのである。だから、彼女は、実際はそれほど自由に振舞っているわけではないのだ。

 僕は彼女に教えようとしたことがくつかある。その内の一つに満足を知ることと、満足を延期することとがあった。夕食に満足し、先月買った服で満足できる方が望ましいのである。そして、今服が欲しいと思っても、それを先延ばしにできる方が、返って楽になるはずである。まあ、彼女には分かって貰えなかったことであるが。

 そして、彼女が目先のいろんな事柄に流されるが故に、彼女は非常に無防備である。これが僕には心配でならなかったのである。彼女は何度か危ない目にも遭っているのである。でも、その詳細を書くことは控えよう。

 結局、僕はこの結論に辿り着かざるを得なかった。「彼女は自己がない」という結論である。僕と会話をしている。トイレに行く、トイレの汚れが気になる。僕のことは忘れて、掃除をする。僕が待っているとも考えなかったのだろう。夕食を食べる。お腹が空く。今夜食事をきちんとしたことを忘れて、食べに行く。気にった洋服を発見する。この間、服を買ったことを忘れて、今日も買う。こんな感じなのではないだろうか。以前のことが彼女の中で留まることがないのではないだろうか。常に、目の前にある物事に支配されてしまうのではないだろうか。目の前の事物に流されてしまうということは、それらに耐え得る自己を有していないということである。

 まあ、確かに、僕も古書を買う時に同じような行動をしてしまう。古書の場合、発見した時に買うというのが僕の中で鉄則のようになっているのだ。僕は次回に回して、失敗した経験があり、その時からこの鉄則を持つようになったのだ。でも、僕はこれでも以前ほど購入しなくなった方である。いい書物は再刊されるということを知っているからである。今、見逃しても、いずれ手に入る時が来るということを信じている。夜中にお腹が空いても、明日の朝になれば食べられるということを知っているので、僕は夜中にわざわざ食べに出たりはしないのである。彼女はそれができないがために、自由ではないのである。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

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