12月26日(水):追求するのみ
今日は通常の出勤。朝のうちにいくつかの予定が入っていた。午後から、大整理の続きをやる。一昨日は1000枚もシュレッダーにかけたのに、今日は200枚くらいしかできなかった。単調な作業に飽きが来たせいもある。それに、年内に終わらせようとか、そういう焦りがなくなった。期日に拘らず、なんとなれば年を越しても構わないと思い始めている。
足の痛みはひどく、体調もよろしくない。それに加えて、明日と明後日の仕事が流れてしまった。予約の変更があったのだ。クライアントさんたちにもそれぞれ事情があるのだけど、僕の方は気力が萎えて、ヘナヘナとなってしまった。
株価が暴落したらしい。株をやらないので僕はよく分からないけど、けっこう大きい暴落であったようだ。
異常事態は気象や災害ばかりとは限らないものだ。この暴落もかなり異常で先例があまりないのだそうだ。大恐慌の到来か。
そうなると2019年は最悪に一年になるだろう。そんな一年を経てオリンピックなんてものをやるんだったら、それこそ日本はお終いだ。
経済の巨大な流れの前では個人はなんとも無力である。いくら個人が努力したとて、経済の動きに対してはどうすることもできないのだ。けっこうな額の給料をもらっている人で、あたかも自分一人の実力で稼いだと豪語するような人がいるけど、思いあがるんじゃない。たまたま経済のいい流れに乗っかったってだけのことかもしれないのだ。
経済や政治の動きに左右されない人間になりたいと自分では思っているのだけど、なかなかそこまでしっかりした自分になれないでいる。政治や経済の悪いニュースを聞くと、あれやこれやと心配してしまうような小心者である。
世界はどうなるかも、日本がどうなるかも分からない。先行き不透明の時代だ。とにかく一日一日をしっかり生きよう。
今日、新聞のスクラップを処分した。尼崎のJR脱線事故の記事がやたらと見つかった。僕はあの事故を特に大切に思っていた。と言うのは、開業した当初にあの事故が起きたからである。
開業して、これからやっていけるかなと不安になっている矢先にああいう事故が起きたのだ。不謹慎な言い方を許してもらいたいのだけど、僕はあの事故のことを知って、この仕事をやっていけると感じた。人間が不幸を経験する限り、カウンセラーは必要とされるものだと僕は信じている。
そういう事情で、当時、僕はあの事故の記事をせっせと収集していたものだ。平成17年のことだ。以後、平成23年頃まで新聞記事をスクラップしてきた。これまでにいくらかは処分してきたのだけど、今回、すべてを処分する。もう要らない。
最初の頃はいろんなこと、ありとあらゆることを知っていなければならないという妙な強迫観念が僕にはあって、そのため、ありとあらゆる記事を収集していた。もうそこまでする必要はない。僕には僕に必要な知識が何であるかが見えている。それ以外の知識は、その道の専門家に任せればいいのだ。自分が追求していることだけを追求していこう。僕のテーマとしているものを追求していくのみである。それが一番大事なことなんだと今では考えている。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)