12月24日(月):クリスマスは独りで
今日はクリスマスイブなどというありがたくもない日だ。
彼氏や彼女のいない人は、この日をやたらと意識するようだ。僕は別に何も意識せず、この十数年は普通に仕事をすることにしている。
この日、デートをする人、独りで過ごす人、それと同じくらい仕事をしている人がいるだろうと思う。なんでデートなんかをこの日にわざわざしなくてはいかんのかね。
Yさんからは「今年のクリスマスは何かあるの?」と尋ねられ、僕は即座に「なんもない」と答えた。何か期待していたのかもしれないけれど、僕はそういうイベントごとに関与するのはまっぴらだ。
デートやパーティーをやりたい人はやればいい。僕はこの日を何も特別な日だとは捉えていないから無関心だ。
この日が苦痛だと言う人は、楽しそうにしている人たちを祝ってやればいい。いちいち妬むからしんどくなるのじゃないかと僕は思う。楽しそうにしているカップルなんぞを見かけたら「メリークリスマス」と言ってやればいいだけのことだ。「幸せになれよ」とでも言ってやればいいんだ。彼らもイヤな思いはしないだろうし、独りだからって不貞腐れるよりかはましだと思うのだ。
そもそも恋人がいるとかいないとか、それがそんなに一大事なのかね。恋人が欲しいと思っていても、やはりそれは相手があってのことだから、自分の力でどうにもできないっていう部分もあるだろう。人生のどこかで愛し合える人と出会えたらそれでいいものではないかと僕は考えるのだ。何もクリスマスに合わせる必要なんてないものだと思うのだが、いかがなものだろうか。
もともと、クリスマスというのは冬至のお祭りだったそうだ。キリスト教とはなんの関係もない。聖書にも12月25日なんて日付は全く出てこない。だから静かに冬至を祝ったらいいのだ。これからは昼が長くなり、夜が短くなっていくのだなあと祝えばいいのだ。殊更デートなぞしなくてもよいのだ。
今年は何もない。去年も何もなかった。一昨年のクリスマスは、近所の行きつけのお好み焼き屋さんで、常連客のおばさん連中に混じってクリスマスをやったな。それはそれでけっこう愉しかった。デートなんかより、はるかに面白かったかもしれない。
そうそう、クリスマスを独りで過ごすのがイヤだと思う人は、飲み屋でも飲食店でもいいから行きつけの店を持っておくとよい。そこがクリスマスのイベントなんかをやったりするので、それに参加したらいいのだ。ところが、そういう人はそういう店を持っていなかったりするのだ。だから独りで過ごさなければならないというのも半分は自業自得というものだと僕は思うのだ。そういう行きつけの店のイベントに参加すると、人間関係も広がるし、いい人と出会えたり紹介される機会があるかもしれない。視野の狭さが、彼らが独りで過ごさなければならないことの一因になっているのかもしれないな。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)