12月21日(木):キツくとも
今日も無事に一日を終える。毎日確実に生きる。生きるということを確実に認識する。流されてはいけないと思っている。
今日のクライアントはみな見込みがある。この人たちは変わっていくだろう。すでに動きが見られている。今後、さらに動いていけば、あとは自然に軌道に乗っていくだろう。人生がその人を育てていくだろう。
今のところ、困難なのは昨日来られた人だ。ずっと「治らない」で過ごしてきた人だ。この人を責めるつもりはないけど、「治らない人」にはそれなりの理由があるものだ。
どの人も「治る」前に「治る人」になっていかなければならない。自己の形成をしないまま変えようとすることは、基礎を作らずに建物を建てるようなものだ。完成してもあっと言う間に崩壊するものだ。
その人が「治る人」になれば、どんな治療法でも、どんな治療者にかかっても、その人は治ると僕は信じている。いや、治療に反してでも治るとさえ僕は信じている。治療以前のことをもっとやっていかなければならないのだ。
夕方の空き時間に旧パソコンのデータ整理をする。未整理のものがずいぶん溜まっていた。それらを整理する。
そろそろサイトの更新もしないといけないと考えている。いくつも原稿を書いたのに、どれが完成して、どれが未完成であるかも分からなくなった。サイト用に書いたものなのか、個人用に書いたものなのかもはっきりしなくなっている。ボツになったものと書き直したものも混乱している。これらも一度整理しないといけない。
多くのことをやっていかないといけない。考えるだけで憂鬱になってくる。僕は独りだと、そういう時は強く意識させられる。誰も手助けしてくれる人はいないのだ。それを僕は自ら選んでいるのだから、文句は言えない。でも、キツイと感じることは多々ある。キツくとも、やっていかなければいけない。
自分の中にある甘えを断ち切らないとやっていけない。人に対する依存心を戒めていないとできない。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)