12月18日:女性友達に捧げる(12)

12月18日(日)女性友達に捧げる(12)

 

 僕がこうして女性友達とのことを書いているのは、彼女に未練があるからではない。彼女との関係において、僕は何か貴重な体験や学びを得たと感じているのだが、それが何なのか明確にしておきたいと思うからである。そして、融合的な関係で苦しんだ僕は、もう一度、何が僕に属しているもので、何が彼女に属していたものかを整理したいと思っているのである。その目的のために振り返っているのである。

 ある時、彼女は「好きな人には尽くすわ」と、自慢げに(僕にはそう見えた)言ったことがある。僕は、それに対して、「尽くしてくれても嬉しくない」というようなことを言い切った。彼女の自尊心を粉砕してしまったかもしれない。

 彼女は相手に尽くすことが愛情だと考えていたかもしれないけれど、僕はその考えには賛成できなかったのだ。そもそも、奴隷や召使が主人に尽くすのは、主人への愛情からではない。会社員がサービス残業してまで会社に尽くすのは、会社を愛しているからではないのである。つまり、愛情がなくても相手に尽くすことができるのである。人間はそういうことができるのである。愛していなくても、相手に奉仕活動できるのである。時には憎んでいる相手に対してさえそういうことができるのである(これは反動形成である)。僕はそういうことを彼女に伝えたと記憶している。そして、尽くした方はそれで満足するかもしれないけれど、尽くされた方はそれを幸せに感じているとは限らないと僕は思うと伝えた。尽くされて、肩身の狭い思いをする場合だってありうるし、僕の場合はそうなる可能性が高いのである。

 そして、僕は「一緒に幸せになるという関係でないとイヤだ」ということを言ったのだと思う。一方の幸福が、他方の犠牲によって成り立っているような関係を、僕は望まないのだ。彼女にそれがきちんと伝わったかどうかは不明である。

 彼女は自分が相手に尽くす人間だと述べているわけであるが、一体、彼女の言う「尽くす」とはどういう行為のことを指すのだろう。僕はそれをきちんと訊いておけばよかったと思っている。僕のすべきことを肩代わりしてくれるとか、尻拭いしてくれるとかいうような奉仕だったら、僕の方がお断りである。ちなみに、以前の男たちとの関係では、彼女はそのような奉仕をしてきたようである。それを知っているから、尚更、僕は彼女にそういうことはして欲しくないと考えていたのだ。

 僕はお互いのために時間を割くようにしたいと、ただそれだけを望んできたつもりである。つまり、ただ一緒に時間を過ごすということである。取り返しのつかない貴重な人生の時間を相手のために割くわけである。僕はこれほど確かな愛情表現はないと考えている。だから、僕が彼女に望んでいたことは、お互いに自分の時間を相手のために割いて、一緒にその時間を過ごすということだけだったのだ。

その時間に何をするかということは二の次だったのだ。僕は彼女の奉仕を望まなかったし、彼女の所有物を得ようとも考えなかった。彼女は僕よりお金持ちだったが、彼女のお金を期待したことは一度もない。厳しい財布事情でも、彼女に夕食を奢ることも僕はしてきた。彼女が払うこともあれば、僕が払うこともあった。できるだけ、そこは公平にしたかったのである。彼女の金目当てに近づいた男だなどと見られたくなかったのである。彼女にそういうところが伝わっていただろうか。

 僕の言葉が彼女に伝わったかどうか、そこが常に曖昧に感じられていた。何というのか、フワフワした相手に物を言うようで、果たしてこちらの言葉がきちんと伝わっているのか、理解してくれたのか、手応えがない感じなのである。この感じが不思議だった。彼女は、そういう言葉から身を守らなければならなかったのかもしれない。理由は僕には分からないけれども、そういう言葉は彼女に影響を与え、彼女を揺さぶるのかもしれない。だから自身を防衛し、反応を示さないようにしていたのかもしれない。そうだとすると、僕の言葉は彼女には厳しいものとして体験されていたのかもしれない。今から思うと、もっと彼女の様子を見て、物を言うべきだったと感じている。どうも、僕は、僕自身の不安から、自分の考えを伝えるということに、彼女に分かってもらうということに偏り過ぎていたように思う。それだけ僕は真剣だったのだと言えるのだけど、一方で、それが僕の身勝手さにつながっていたのかもしれない。

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

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