12月18日:北新地ビル放火事件

12月18日(土):北新地ビル放火事件

 

 昨日、大阪は北新地にある精神科クリニックで放火事件があった。たいへんなニュースになっていたそうだけど、僕は昨夜帰宅後に知った。一日中職場にいると外の情報が入ってこないためである。

 20数名が亡くなられたそうだ。ご冥福をお祈りする。

 

 しかし、この手の事件が増えている。8月には電車内で刃物を振り回した男がいたかと思えば、10月のハロウィーンには同じく電車内で刃物を振り回して放火した男がいた。そして12月のこの事件だ。ほぼ2か月に一回のペースで続いている。

 今回、ビルの4階に入っていたクリニックだそうで、放火したとみられる犯人はそこの患者さんであるようだ。見知らぬ人間であったら受付で呼び止められるだろうし、見ず知らずの場所で犯行することもないだろうから、おそらく患者さんなんだろう。警察ではこの患者とクリニックとの間でトラブルがなかったかどうかを調べると報道されていたけれど、トラブルとなるようなものは見つけられないかもしれない。

 

 この犯人は自身も火傷なんかを負い重症であるとのことである。受付のある入り口で可燃物を撒いで、ストーブが引火したようなことをニュースで言っていたが、そんな重体を負うということは、犯人はそこに留まっていたということになるだろうか。

 この手の事件の特徴にそれがある。犯人がずっと犯行現場に留まるのである。犯人の供述では、例えば逮捕されることを望んでいたり、その場で自分も死ぬつもりだったりする。おそらく虚偽とまでは言わないけれど、それは本当の理由ではなく、表面的な理由であると僕は思っている。

 例えば、犯行して、死刑になりたいと言うのであれば、現場から逃走して社会に混乱を招く方が得策である。逮捕されてもひたすら犯行を否認して、しらを切り通すなどをした方がより目的に適うだろう。情状酌量の余地を一切省くようなことをした方が死刑になりたいという目的を達成する可能性が高まることだろうと思う。だから犯行現場に留まるのはもっと別の理由があると僕は思うわけだ。

 僕はもっとエス衝動の強度を仮定している。だから、犯人が現場に残るのは、そこで苦しむ人間を見たいとか、憎い敵が目の前で死んでいくのを眺めたいとか、そんな理由があるのではないかと僕は思っている。エス衝動が自我を圧倒していなければ、なかなかそのような犯罪を実行できないだろうと思うので、現場に居残るという犯人の行動もエス衝動に基づいているのではないかと仮定しているわけだ。

 

 こういうのは自爆テロと同じである。犯人が逃走しないのである。通常、犯人は逃走するものである。だから逃げ道のない電車やその他の乗り物などでは事件が発生しないのである。逃げ道がないということは犯人にとっても不利になるからである。ところが、最初から逃走する意図がないのであれば、むしろそういう場所は犯行に相応しくなる。被害者の逃げ道がないということが犯人にとって有利になってしまう。

 今回の放火事件も、クリニックの入り口で放火したので、中にいる人たちは逃げ道が塞がれてしまったわけである。犯人も逃げなかったようである。

 

 さて、今度は放火という手口について考察してみようと思うのだけれど、そろそろ書いているのも疲れてきた。自分で書いていてもなんら面白味が感じられない。疲れたので今日は止めにしよう。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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