12月17日:女性友達に捧げる(11)

12月17日(土)女性友達に捧げる11)

 

 「友達でいればいいのに」。僕と彼女のことを知っている人たちは、僕が彼女と別れたと聞くと、よくそう言ってくれる。彼女と交際を始めた頃、僕はそれがとても嬉しくて、友人や知人、親にさえ「最近、彼女ができてん」と言いふらしていた。女性とここまで深い付き合いをするのは、実に十数年ぶりのことだったので、僕はとても嬉しかったのである。その間、女性と知り合うことはあっても、そこまで関係が深まることなく終わっていたのだ。だから、この女性友達との関係は絶対に上手くやろうと決めていたのである。

 さて、僕の周囲の人たちは、彼女と別れても、友達として関係を続ければいいじゃないかということを言ってくれているわけであるが、僕にはそれが難しいのである。浅い関係を深くすることはできるけれど、一旦深まった関係を浅い関係に戻すという器用な芸当が僕にはできないのだ。どれくらいの浅さを維持するべきかなども分からないし、うっかり以前の深い関係の名残りや癖が出てきてしまうかもしれないのである。不器用な僕は、だから、このまま付き合うか、別れるかのどちらかしかできないのである。

 でも、本当に僕たちの関係が深いものであったかどうかということは、今から考えると疑問である。お互いに率直ではなかったし、相手に対して正直でもなかったと思う。僕自身、普段の人間関係でそれほどオープンな人間ではないのだけれど、彼女との関係では、彼女を失うことの恐れから、どうしても自分を隠してしまっていることに気づいていた。だから僕も率直ではなかった。率直に自己表現する代わりに、彼女のためにと、いろんなことを教えたり、忠告したり、助言したりすることの方が多かったように思う。そういう関わり方をしてしまっていたと思う。僕はどれくらい僕自身を彼女に表現しただろうか。

 彼女の方もそれは同じで、彼女は一見すると開けっぴろげなように見えるかもしれないが、実はそうではないのだということに、僕は気づいていた。彼女にも当然内的な世界があるのだけれど、その内的世界には誰も踏み込ませないというような硬さを僕は感じていた。それが、僕には拒絶として体験されていたように今では思う。例えば、彼女との対話は、その大部分が彼女以外の事柄だった。彼女自身のことが語られるとしても、極めて表面的な出来事しか語られることがなかった。内面を語る言葉を彼女は有していないのかもしれない。いずれにしても、深い所で触れ合うということが、お互いにできていなかったと、僕は捉えている。

 彼女の側だけに責任があるとは、僕は捉えていない。僕の方でも要因があったことは認める。例えば、お互いに率直で、正直であればいいとは思っていても、彼女の話してくれることをすべて受け入れることも僕には難しかった。例えば、彼女の以前の男たちのことは、僕には聞くに耐えない思いだった。できることなら、それは聞きたくないという思いの方が強かった。この辺り、僕の器量の小ささを示すものであるが、こういう話題をどこかで拒否していたわけである。彼女も拒絶を体験していたのではないかと思う。

 お互いに理解し合うためには時間も必要である。僕はなるべく会う機会を持とうと努めた。仕事を臨時休業にしてまで、僕は彼女とデートしたのである。あまり望ましいことではないとは思うが、それでも、彼女と良好な関係を築き、維持していくことが、当時の僕には何よりも優先事項だったのである。しかし、彼女の方は「忙しい、忙しい」と言うばかりで、お互いにとって大切な事柄をなおざりにしてきたのだ。僕は彼女を責めるつもりはない。ただ、彼女には事の真剣さが理解されていなかったのだと思う。

 こうして、お互いの不誠実さのために、僕たちは理解し合うことに失敗したのだと、僕はそう捉えている。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

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