12月17日(月):唯我独断的読書評~『黒魔団』
著者のデニス・ホイートリーは20世紀中頃に活躍した作家で、本国イギリスではたいへんな大衆小説家であるそうだが、日本では今一つ知られていないという人だ。その著作はけっこうな数に上がるのに、日本で訳されているのは数冊である。映画化作品もいくつかあるが、日本で公開されたのは一作だけという。どういうわけか日本に縁のない作家さんだ。
この『黒魔団』は著者の黒魔術小説の一作目にあたり、1935年に出版されるや大ヒットを記録したらしい。実際、読んでみると、それだけ売れるのも頷ける内容である。
リシュロー侯爵はアメリカの友人レックスを迎え、晩餐を開いている。本当ならここに同じく友人のシモンがいなければならないのだけど、最近、シモンには会わないという。そこで二人はシモンを訪れる。
シモンの屋敷では、数人の来客があった。レックスはここでテイニス嬢と知り合う。ふとした偶然から、リシュローはシモンが黒魔術に手を染めていることを知ってしまう。そして、この来客たちがどういう種類の人間であるかを悟る。
友人シモンを悪の道に入らせてはならないと、レックスと協力して、リシュローはシモンを屋敷から連れ出す。これが物語の発端である。以下、簡単に筋だけ記しておこう。
黒魔術団の団長であるモケータはたいへんな妖術使いで、本書の悪役だ。このモケータが妖術を駆使して、シモンを奪い返す。
シモンが黒魔術の洗礼を受けてしまうと、もはや光の世界、膳の世界に生きることができなくなる。手遅れになってはいけない。リシュローとレックスはシモンを奪い返すべく、サバトの夜、まさにサバトが行われている真っただ中を強行突破してシモンを救出する。
リシュロー、レックス、シモンは、共通の友人であるリチャードとマリー・ルー夫婦を訪れる。モケータは必ずシモンを取り返しに来る。なぜなら、モケータが「セトの護符」を手に入れるためにはシモンが絶対に必要だからである。もし、モケータが「セトの護符」を手に入れると、あらゆる悪の力がモケータのものになってしまう。それだけは阻止しなくてはならない。
その夜、リシュロー、レックス、シモン、リチャード、マリー・ルーの5人は五芒星の中で、襲い掛かってくるモケータの妖術から決死の防衛を試みるが、リチャード夫婦の娘フルールを人質に取られてしまう。
シモンは責任を感じ、自ら犠牲になりに行く。再びリシュローたちはシモンの足取りを追い、フランスに渡り、モケータとの最終決戦に挑む。
以上がストーリーのあらましである。シモンを巡って、リシュロー達がモケータと戦うというのが本筋である。
その本筋に加えて、レックスとテイニスの恋、さらにテイニスの運命が絡んでくる。シモンの奪い合いに、誘拐されたフルールの救出のサスペンスも加わる。また、随所で披露される黒魔術や占星術などに関する実話やウンチクも面白い。そうして物語世界が豊かに展開していく。
何しろ敵が黒魔術を駆使するのだ。主人公たちの動向が読まれてしまうのだ。そうしてスキを突かれたり、ウラをかかれたり、先回りされてしまうというのがミソだ。主人公たちは幾度となく苦境に陥る。そうして読者は彼らが物凄い敵を相手にしているのだと思い知ることになる。
この強敵と決戦する勇気ある快男児たちも魅力である。もっとも、妖術使いに対して、こちらは拳とピストルで戦うという、なんとも不釣り合いな感じがする戦いであるが。
さて、こうしてスリリングな物語が展開していくのだけど、時に冗長と思えるところもあり、わずかにダレる箇所もあった。
それに、いかんせん、この本自体に問題がある。誤植が何か所にも見られる。その上、訳語の日本語にも馴染めない、「わかった」とすればいいところを「ようござんす」などと言われてもねえ。どうも登場人物たちのキャラクターとセリフがチグハグな感じがしてならなかった。平井呈一さんの、いささか古めかしい日本語の訳文にケチをつけるつもりはないのだけど、どうも耳障りな感じがして仕方がないのである。
そうしたいささかの欠点が感じられたとしても、本書は十分に面白い。クリストファー・リー主演で映画化されたこともあるそうだ(観てみたい)が、映画化されるのも納得である。スピーディーな場面展開は映画向きかと思う。リメイクされてもいいくらいだ。現在ならCGをめったやたらと駆使すれば、本書で描かれている場面は映像可能だろう。誰か映画化してくれたら、僕は観に行く。
そういうわけで、本書の唯我独断的読書評は4つ星半だ。内容は十分に面白い。
<テキスト>
『黒魔団』(The Devil Rides Out,1935)
平井呈一訳 デニス・ホイートリー黒魔術小説傑作選第1巻 国書刊行会
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)