12月16日(金):腐敗する日本
今朝、父と少しだけ会話をした。僕は政治や経済のことには疎いので、あまりこういう場で物を言える立場ではないのだけれど、今日は敢えて言わせてもらおうと思う。
父との会話の主題は、復興財源であった216億円の行方である。このお金は震災の復興に充てようということになっていたのだが、国会がずるずると長引いて、結局、何も決まらず、このお金は公務員のボーナスにすべて流れたということである。
公務員にボーナスを出すなとまでは言わないけれども、このお金があればどれだけの人が助かるだろうと思う。例えば、仮設住宅を一棟造るのに1000万円かかるとすれば、2160棟造ることができるのである。仮に、それだけの場所が確保できないというのであれば、家や仕事を失った被災者の生活費に充てることもできるはずである。一世帯の一年間の生活費を100万円としよう。そうすると、21600世帯が一年間生活できることになる。100万円と仮定したが、衣食住のうち、住がそれほどかからないと仮定すれば、この額はもっと減るかもしれない。しかし、医療費等、衣食以外の必要経費を除外して計算しているので、あくまでも仮説である。もちろん、21600世帯といっても、全体の数からみれば全然数のうちに入らないかもしれない。それでも、一世帯でも救おうという姿勢がまったく見られないということに変わりはない。
「大阪都」構想を掲げる橋下知事に全面的に賛成しているわけではないけれども、こういう現状を見ると、公務員の改革という点では僕は賛成したくなるのである。
復興支援の財源が、公務員のボーナスに流れるというのは、日本の恥である。今回の大震災で、海外からも多くの方が支援して下さっているのだが、その人たちに対するひどい裏切り行為であると僕は思う。
また、震災以後、不動産でも変化が見られるということを聞いたことがある。以前は交通の便がいいとか、そういう基準で住居が選ばれていたのが、少々不便でもいいから安全な場所、安全な家屋を求めるようになったということである。これは人々が我が身を守るための保身の表れでもあるが、もし災害で家や仕事を失ったら生きていけないという不安、つまり、いざとなったら国は何も助けてくれないという不安や諦観の表れでもあるように僕は思う。
また、福島原発の放射能の問題もある。これまで日本は唯一の被爆国として、放射能の恐ろしさなどを語ってきたが、今現在同じような問題を再体験するということは、以前の問題から何一つ本当には学んでいなかったことを示すものである。これは個人の神経症と同じ構図である。地震による事故だから不可抗力だという議論は成り立たないものだと僕は思う。
ところで、日本は先進国であるらしい。僕は一度も日本が先進国だと感じたことはない。ごく限られた一部分において先進国の仲間入りを果たしただけのことであり、大部分は「発展途上国」と同レベルであり、分野によっては、「発展途上国」以下である。特に「心」や「精神」に関する事柄では、「わび・さび」や「義理人情」「和」の伝統を有する国からは想像を絶するほど遅れていると僕は捉えている。他に「福祉」や「教育」等の分野でも、遅れている(というか間違っている)ところがたくさんあると僕は思っている。それもそのはずで、弱者に対する共感能力を欠いた人たちが上の方で「国のため」に「働いて」くれているからである。
日本経済が傾いて、下落しているのであれば、どん底に落ち込むのを遅らせることよりも、いっそのこと、弱者や困窮者を救うためにすべて投げ出して破産してしまった方が潔いように思うのだが、いかがなものだろうか。その方が、僕は日本人としての誇りを持てそうに思うのである。今の状況では、僕は日本人であることが恥ずかしい。
まあ、これらはすべて僕の個人的見解なので、これを読んで、僕の考えは間違っているとか、そういう投書は勘弁願いたいものである。僕の独り言だと捉えてください。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)