12月15日:不安と期待 

12月15日(火):不安と期待 

 

 今日は定休日ではあるが、職場に来て、大掃除の一部に取り掛かる。机上と棚や引き出しの中を整理する。湯呑みや食器関係のものをすべてハイタ―する(これは週に一回くらいやっていることだけど)。その後、掃除機をかけ、掃除機の掃除をする。 

一応、これだけにしておこうと思った。それ以上にやってもいいのだけれど、今日中に終われないようだと困りもので、まあ、無理はせんとうこうと思ったのだ。 

その後は、漫然と本を読んだり、調べものをしたり、原稿を書いたりして過ごす。それで一日が終わった感じだ。 

先週、ディックの『タイタンのゲームプレーヤー』を読んでから、SFもたまに読むといいものだと思い始める。昔読んだ本を引っ張り出す。シェクリィの短編集を今回は再読した。面白いものは、やはり面白い、そう思った。 

 

 夜は大人しく家に帰って、テレビを見てくつろぐ。「百年食堂」を今日も観た。 

 でも、それ以外のものは何も観る気になれない。バラエティでも見ようかと思ったけれど、なんだかそんな気分でもない。 

 そう、僕は不安を感じていたのだ。落ち着いてテレビを見る余裕に欠けていたし、騒がしい番組は敬遠したくなっていた。 

 明日と明後日と、新規の人が来る。今心配に思っているのは明日の人のことだ。高槻で開業して、すでに11年になる。その間に多くの人とお会いしてきたけれど、今だに新規のクライアントとの面接前日には緊張感がある。経験を積めば慣れてくるだろうと期待していた時期もあったが、そうはならなかった。確かに緊張感の度合いは最初の頃よりかはましであるけど、緊張や不安から解放されることは今後ともないようだ。 

 どんな人とお会いすることになるのか。でも、そこには緊張感以外の感情もある。新しい人と会うということで期待が高まってもいる。こういう時、僕はやっぱり人と会うのが好きなのではないかという気持ちになる。そして、そういう気持ちが生じる時、僕は自分に安心する。自分の中に「関係性」があること、その感情が生きているということを実感できるからだ。この感情が失せた時、僕の終わりだと、そう信じている。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

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