12月13日:キーボードを弾く

12月13日(火)キーボードを弾く

 

 昨日(12日)は、夕方に空き時間が生じた。予約の変更があって、急遽、時間が空いてしまったのである。HPの原稿をこういう時に書いておこうと思ったけれど、何か違うことをしたいという欲求に襲われた。それで、僕はキーボードを引っ張り出して、演奏したのである。

 このキーボードは職場に置いてあって、時間があればいつでも練習できるようにと買ったものである。考えてみると、長いこと弾いていなかったな。女性友達と別れてから初めてではないだろうか。いや、女性友達と別れる以前から久しく弾いていなかった。

 久しぶりに弾いてみて、長いブランクがあった割には指がよく動いたように思う。演奏する曲と言えば、僕が作曲した愚作ばかりである。女性友達は僕の曲の何曲かをとても気に入ってくれていたけれど、それはピアノが良かったからである。音が良かったので、曲の稚拙さがごまかせただけのことである。僕は自作曲に全然満足していないのである。

 自作曲を演奏して、それから投げ出したまま中途になっている曲の続きを作ってみた。まとまらない。うまく締めくくれないし、全体を通して平べったい曲になってしまう。盛り上がりがないのである。つくづく、自分の才能欠如に嘆く。

 綺麗な曲を作りたいとも思うけれど、もっと人間の不幸を描きたい。不安や悲しみ、喪失を曲にしたい。だけど、それだけの表現力が僕にはないのだ。それは自分で演奏していて、嫌というほど思い知らされる。

 もっとも、僕がどんな曲を作っているのか、僕自身、よく評価できないのだ。それもそのはずで、僕が人前では決して演奏しないからである。女性友達は、僕のピアノ演奏を最初に聴いた人である。彼女が「いい」と言ってくれて、僕は調子に乗って弾き続けたけれど、僕自身は自分の曲がいいとは思えず、悩んでいた。

 ブラームスの弦楽六重奏だったと僕は記憶しているが、恋人のアガーテ(Agathe)に捧げられたこの曲は、その旋律にアガーテを散りばめているそうだ。ThをDに変えて、A-G-A-D―E(ラ―ソ―ラ―レ―ミ)で旋律を作っているそうである。なかなか粋なことをするなと思い、僕も真似てみようと思った。女性友達の名前を音階に当てはめて、やってみたけれど、結局は未完成なまま終わった。それは今後とも完成されることはないだろう。

 彼女との関係では、何もかも中途半端に終わったと僕は感じている。昨日、新たな曲に着手してみたけれど、それはまったく形にならなかった。今のこの気持ちが、曲にできたらどれだけいいだろうと、僕は思うのである。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

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