12月11日:唯我独断的読書評~「タイタンのゲームプレーヤー」 

12月11日(金):唯我独断的読書評~「タイタンのゲームプレーヤー」 

 

『タイタンのゲームプレーヤー』(The Game Players of Titan) 

―フィリップ・Kディック(1963) 創元推理文庫 

 

 以前、本書を読んだときは「う~ん」という感想だったが、今回読み直してみて、この評価を変えることになった。「う~ん」から「めっちゃおもろいやん」へと評価を変えたのだ。 

 ディックの小説には印象的なタイトルのものが多いのだけど、しかし、『タイタンのゲームプレイヤー』とはね。まるで昔のB級SF映画にありそうなタイトルだ。ところがである。最後まで読むと、このタイトルが実に相応しく、意味深いものがあるということに気づく。タイトルのことは後でまた触れよう。 

 

 さて、SF小説を論じる場合、まず、その小説の舞台となる世界を説明しないといけない。 

 本書の舞台は未来のアメリカである。第三次世界大戦と惑星間戦争があって、地球上の人口は激減し、尚且つ、地球人はヴァグと呼ばれる宇宙人の支配下にあった。地球人はヴァグが持ち込んだゲームに毎夜興じている。このゲームに参加できるのは、バインドマンと称する土地所有者である。自分の所有地をゲームで賭けるのだ。そして、このゲームは二人一組でなされる。大抵は夫婦である。ゲームの勝ち負けによってパートナーが変わるので、いわば結婚と離婚を繰り返すことになる。 

 その日、主人公のピートはゲームに負けてしまい、バークレーを取られてしまった。彼はかつての自分の土地だったバークレーを取り戻すべく、現在の所有者であるラックマンに戦いを挑む。その勝負の当日、ラックマンが殺されるという事件が発生する。しかし、ピートはその日の記憶を失っていた。そればかりか、そのゲームに参加する他の参加者たちも同じようにその日の記憶を失っていたのだ。誰が彼を殺したのか、その日自分は何をしていたのか、そして記憶を操作するのは誰か、こうした謎に導かれて、物語はその背後で進行している大きな陰謀に到る。 

 

 主人公が記憶を失う辺りからディックらしさが現れる。自分の記憶は本物か、誰が本当の人間で誰が偽物かといったディックが繰り返し扱ったテーマが登場する。SFでありながら推理小説の要素を絡ませる辺りもディックらしい。 

 ただ、物語は思いもよらない方向へと転換する。これもディックらしいと言えばそうだが、本書はその転換がいささか激しい感じがしないでもない。 

 

 僕が一番感心したシーンは、ピートのゲームパートナーであるジョーゼフがヴァグたちとゲーム対戦する場面だ。ジョーゼフのカードで「12」が出る。彼は自分の駒を12個進める。するとヴァグたちは彼がインチキをしたと言う。見ると、カードの数字が「11」になっている。ヴァグが念力でカードの数字を変えたわけだ。 

 もし、ここで彼が「さっきは12だった」と主張すれば、ますます彼がインチキをしたという疑惑を高めてしまう。彼はそうする代わりに、自分の駒を一つ戻したのだ。つまり、ヴァグたちのインチキを成立させてしまうことで、このゲームを御破算にしたわけである。このくだりはすごく面白かった。 

 

 その他、細かい点を見ていけば、面白かった部分はいくつもある。「ラシュモア効果」や自動運転の車とか、いろいろある。登場人物や未来の発明品の数々が魅力的と感じられるが、すべて述べると煩雑になるので、興味のある方は本書をお読みください。 

 さて、最後にタイトルに戻ろう。『タイタンのゲームプレイヤー』とは誰のことを指しているのだろうと、途中で僕は疑問に思ったのだ。僕の思いつく限り、3つの意味があるように思う。一つは、タイタン星人と戦う(地球人)プレーヤーという意味。二つ目はタイタン星人のプレーヤーという意味。三つ目は(地球人とタイタン星人とを問わず)タイタン星でプレイするプレーヤーという意味。本書を読むと、そのどれもが該当することが分かる。だから意味深いタイトルだと感じたのだ。 

 

 本書の唯我独断的評価は4つ星半だ。5つ星を進呈してもよかったが、文学性が劣るという点で(その分エンターテイメント性がカバーしてるけど)0.5減星となった。ただ、本書は読みやすく、ストーリー展開も目まぐるしく、ディック入門には適しているかもしれない。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

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