12月10日:買ってはいけない2
僕のブログが電子書籍化されても、決して買ってはいけない。これはいくら主張してもし足りないくらいだ。
僕は知っているのだ。臨床家や占い師や、その他カリスマ何とかと名付けられるような人たちが書いた物をありがたがって読む人たちのことを。しっかりしていない人ほど、そういうものに飛びついてしまうということも。
僕のブログを電子書籍化したいと申し出ている人たちも、そういう人たちをターゲットにしているのだと僕は信じている。そういうものに飛びついてしまう人たちの目の前に敢えて魅力的に映ずる品物をちらつかせようというわけだ。それに魅力を感じるような人たちは少々の値段が張ったとしても、まず支払い、購入する。それがその人たちにとって救いの手のように感じられる限り、彼らはいくらでも金を払う。
そこに付け込む連中もおる。そういう人たちの弱みを利用して、金儲けしている人たちだ。悪徳業者も中にはいるだろうと、僕は信じている。彼らは高額な品物を買ってしまうのだ。彼らが不安定であるが故に、そういうものを掴まされてしまう。僕はただそういうことをその人たちに対してしたくないだけなのだ。
僕はこれまで品物を販売するということはしなかった。買うか買わないかはクライアントの自由じゃないかと、大抵の人、それもあまり物事を深く考えない人は、そう考える。しかし、自分が信用して選んだカウンセラーの部屋に品物が置いてあるということ自体が、クライアントにとってどれだけの拘束力を発揮するか、恐らく知恵の浅い人には理解できないことだろう。それは、クライアントによっては、ほとんど暴力的に作用する。だから、それもまた僕はしたくないことなのだ。
話が横道に逸れてばかりいるが、この電子書籍化の話で、僕が最初に嫌悪したのは、その料金である。僕のブログが、そうだな、300円くらいで売るというのであれば、僕は何も気にしなかっただろう。300円というのは、まだそれでも少々高価であるが、まずまず妥当な所でもあるだろうと思えるからだ。彼らはそれよりも遥かに高額で販売しようと目論んでいる。僕はその値段を聞いて、びっくりしたね。それだけのお金を僕のブログなんぞに支払うなら、立派な文学や学術書を買う方がはるかに為になるというものだ。バカバカしいくらいの値段だ。僕には購入した人たちの失望が目に見えるよう。高い金を出して買ったのに、この程度かと。
もし、そういう事態になったとき、購入した人が非難するのは僕だ。それを書籍化して販売しようと提案した業者が恨まれることなどないのだ。こういう業者は影響力を持っているくせに、表には現れてこない存在だ。こういうのは本当に腹立たしい。僕に対しての書き込みにもあるのだけれど、それは実際には僕が書いたものではないのだ。それを作成した業者が書いたものなのだ。しかし、それに関して、書き手に僕が非難されているのだ。こんな筋違いな話もない。業者が書くだけ書いて、文句を言われるのはこちらで、業者は知らんぷりできるのだから、やりたい放題できるというものだ。
考えれば考えるほど、腹立たしい。新しいことには積極的に取り組もうと決めていたけれど、その矢先にこういう電子書籍化の話が舞い込んできたのだ。新しいことには挑戦したいけれど、この話には何となく気が乗らない。僕の気持ちがはっきりしないまま、話が展開していってしまうかもしれない。もし、そうなったときのために、僕は今から訴えていこうとしているわけだ。もし、僕のブログが電子書籍化されたとしても、それを決して買ってはいけない、と。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)