12月10日:父の買ってくれた鞄 

12月10日(月)父の買ってくれた鞄 

 

 通勤なんかに使っていた僕のカバンがいい加減ボロになってきた。どういう経路で父の耳に入ったのか、先月のある日、父が「カバンを買ってきたぞ」と言って、渡してくれた。父は時々そういうことをする。父なりの愛情表現なのかもしれないし、そういう形でしか示せない人なのかもしれない。どこかの「カバン市」のような所で買ってきたらしい。 

 父が買ってくれたものだから、僕は有難く使わせてもらう。そうでないと悪いような気持ちにもなるから。で、そのカバンなのだけど、黒地で、大きさもいい感じである。正面から見ると、右下に白いロゴマークが入っている。一瞬、僕はナイキのバッグかと思った。 

 でも、それはナイキではなかった。ナイキのロゴマークは、何て言ったらいいのか、もっとシャープな感じで、「シュッ」としている感じがある。僕のカバンに付いているロゴは、形こそ似ているけれど、もっと「にょろん」とした感じだ。つまり、れっきとした偽物なのだ。ナイキもどきの、模造品と言うか、模倣品のバッグだったわけだ。いわゆる「バッタもん」である。 

 僕は今、そのカバンを使っている。ロゴが見えないよう、そちらを内側にして持つようにしている。いつか、このロゴを黒く塗って、下地と区別がつかないようにしてしまおうと思っている。でも、そういう雑用はいつも後回しで、未だに塗り潰していない。 

 先週、職場から帰宅する時、電車に乗った。たまたま僕の前に立っていた男性のカバンを見て、思わず目を奪われてしまった。彼もナイキのバッグを持っているのだ。しかも、「シュッ」とした方ではなく、「にょろん」の方だ。僕のは右下に小さくだけど、彼のは中央にでかでかと「にょろん」が張り付けてある。 

 見ず知らずの人だけれど、「にょろん」つながりかと思うと、何だか気恥ずかしいような気持ちになる。不思議なものだ。僕はこそこそと「にょろん」を隠しているのだけれど、彼は大きい「にょろん」を堂々と表にしている。彼の方が勇気がある。僕にはちょっとできない。変な気取りが邪魔しているのだろう。 

 その変な気取りというのは次のものだ。これは僕の持論みたいなもので、あくまでも個人的な感覚の話だ。僕は、有名メーカーの模造品を持つよりかは、無名メーカーのオリジナル品を持つ方がよっぽどいいって考えている。模造品とか模倣品を持っていたり身に着けていたりしていると、何だか、生き方とかライフスタイルまでもが模造品、模倣品になっていきそうな感じがしてしまうのだ。もちろん、僕の個人的な感覚の話で、科学的な根拠なんてまったくない。きっと「バッタもん」でも気にしないというくらいの人の方が強いのかもしれないし、立派なのかもしれない。 

 父が買ってくれたカバンだから、使わないと申し訳が立たないようにも思うし、そうかと言って、模造品を身に着けるというのは僕の価値観に反するしで、些細なことながら、葛藤している自分を感じている。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

 

 

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