12月10日:この一週間(続き)

12月10日(日):この一週間(続き) 

 

 僕自身のこの一週間のことは、すでに書いたように、具合が悪くて、ほとんど寝て過ごした感じだ。なんとか仕事に穴を開けなかっただけでもよくやったと自分で思うことにしよう。 

 それはともかく、家にいる時間が長いと、何かとテレビなんかが目に入ってくる。僕は見なくても、親が見ていたりして、それが僕のところにも届いてくるのだ。 

 

 ジャニーズ新社長、どうでもええわ。 

 M1、W1、お笑いのコンテストもどうでもええわ。お笑いで笑うことはなくなった。 

 朝ドラ、もう偉人伝には飽き飽きしている。どうでもええわ。 

 歌番組、母がよく見る。昭和歌謡なんかの番組だ。母が若い時代に流行った歌なんかを流している。僕もいずれはああいうふうになるのかな。でも、演歌歌手はみんな同じに見えるし、若手となると誰が誰やらよくわからん。八代亜紀さんの声は好きだし、あまり和服のイメージがない人だという気もする。北島三郎さんも年を召されたな。一曲でもヒット曲があればなんらかの仕事があるものだと改めて思った場面もあった。それが誰かは言わんけど。出演者たちもみんな昭和時代を懐かしんではるな。まあ、それはそれでいいんだろう。 

 バラエティ系の番組はさらに縁がなくなっている。CMなんかで番組宣伝を見かけるけれど、見ようという気になるものがない。 

 通販番組。見るならこれだ。どんな商品をどういう売り込み方をするのか、何かと参考になる。基本的に、手軽さとか便利さとか、そういう「ラク」にお金を使わせる方針のものが多いようだ。 

 

 あとはワイドショーくらいか。何かと話題になっていることもある。 

 コロナ後のインバウンドは好調らしい。外国からの富裕層が来日して、お金を落としていってくれる。けっこうな金額を日本で使っているようだ。 

 いつだったか、アメリカのパートタイムの時給は日本円に換算して2000円になるというのを見たことがある。時給2000円か、いいなあと思ったのを覚えている。もっとも円安とかの影響も考慮しないといけないんだけれど。 

 日本というか、僕の住む京都でも最低時給を1000円にすると言っておきながら実現していない有様だ。本当は2000円でもいいくらいだ。この物価高を踏まえるとそれくらいにして従前の消費活動が可能になるんじゃないかと思う。 

 コンビニでバイトしているとけっこうな格差が感じられる。若いころの経験では客単価800円くらいだった。それくらいの金額の買い物客が多かったように記憶している。今、ちょっとした買い物ですぐに2000円超えするし、人によっては3000円とか4000円とかの買い物をコンビニでする。その一方で、駄菓子一個だけ買って数十円の買い物客もけっこうおられる。この辺りで格差を感じてしまうのだ。 

 いや、商品も値上がりしている。コンビニ弁当も高額になっている。食品ロスはすごいけれど、ロスになるのは要するに売れないからである。中にはそれが買えないという人もあるかもしれない。僕もちょっと躊躇してしまう値段だったりする。 

 そこでコンビニ側も様々なクーポンなんかを発行したりしている。それでお得に買い物ができるかというと、そうでもなさそうだ。ある人はたくさんの商品をレジに持ってきて、その商品すべてにクーポンないし引換券を提示してくる。欲しい商品にクーポンがあると嬉しいだろうけれど、こうなるとクーポンがあるからそれを買うという感じだ。クーポンにコントロールされとるな、と僕なんかは思ってしまうのだが、いかがなものだろうか。 

 

 経済、経済、経済とキシダは連発していたけれど、景気はよくなる見込みはなさそうである。 

 そのキシダであるが「増税メガネ」などと綽名されているらしい。人の綽名というものはその人の特徴が誇張されていたり、戯画化されていたりするものだけれど、増税とメガネしかないというのはなんとも情けない感じだ。他に目立つものがないということじゃないのかね。 

 子供が3人いると、子供の大学授業料が無償化されるというのも聞いたことがある。キシダが打ち出した案なのだろう。3人いない家庭はどうなるのか。3人いたのに1人が亡くなってしまった場合はどうなるのか。それで3人目の子供を産もうという夫婦がどれほど生まれるのだろうか。 

 何よりも、少子化の根本原因は未婚者の増加にあるのであって、現在未婚の男女をサポートしなければならないはずなのに、子供のいる既婚者だけに手厚いサポートをするというのは本筋から外れているとしかいいようがない。キシダ政権の少子化対策は100%こける。 

 

 100%こけると言えば、大阪万博も終わりだな。開催まで一年半と迫っているのに、とても間に合いそうもないとのことだ。パビリオンの建設が遅れている上に、諸外国のパビリオンも先行き不明なものが多いそうだ。 

 1970年の大阪万博は大成功だったと言えるだろう。50年前の日本にできたことが現在の日本ではできなくなっている。そのことをまずは自覚した方が良さそうに思う。当時よりも力がないのだ。経済力だけでなく、実現力とか、統率力とか、創造力とか、あらゆるパワーがダウンしていることを自覚して取り組んだ方がいい。 

 また、1970年の大阪万博ではいくつかの「呼び物」があった。「月の石」なんてのもそうだ。月から拾ってきた石ころ(ただの石ころに過ぎない)が展示されているだけなんだけれど、それを一目見るために長蛇の列が作られたなんて話も聞いたことがある。今回の万博では、そういうものがない。一目それを見に行こうと思わせるような代物が欠けている感じがする。 

 そうではないという意見もあるだろう。そう言えば、空飛ぶ自動車なんてものが展示されるらしい。映像で見た限りではでっかいドローンのようにしか見えなかった。もっと007(ダブルオーセブン)に出てくるようなのをイメージしていたら、とんでもない肩すかしを食らうことだろう。「二度死ぬ」に登場した一人乗りセスナの方が、あるいは「黄金銃を持つ男」に出てきた自動車に翼をくっつけたやつの方が、よほど「近代的」と思ってしまうのは僕だけだろうか。 

 今回の万博ではすでに予算が過剰にオーヴァーしている。資材高騰などが理由だそうだが、それだけでもないだろう。中抜き業者がさぞ暗躍していることだろう。現場で働く人たちにもっと賃金として分配されれば、そこで働こうという働き手も得られることだろう。そうすれば、人手が集まれば、開催までに間に合うかもしれないのだけれど、そういうことはしないだろう。 

 まあ、東京オリンピックの二の舞になることだろう。オリンピックではコロナに帰属させてたけれど、結局、同じ構図なのだ。日本は大規模なイベントができる国ではなくなっているのだ。 

 ともかく、今度の万博は、呼び物に乏しく、エンタメ性にも乏しく(つまりワクワクする体験がなさそうに見える)、理念とか思想とかも(あるにはあるんだろうけれど)伝わってこないし、展示される品々が人々の福祉にどう役立つのかなんてことも分からない。僕がそういう情報に疎いだけかもしれないけれど。 

 そして、伝わってくることと言えば「経済効果」という4文字だけだ。やたらとそこが強調されている向きがある。万博を開催するとこれだけの経済効果が見込めるとか、そういう話はよく耳にした気がする。それもきっと見込み違いで終わりそうな気がする。 

 

 コロナ対策、オリンピックの清算も済んでいないのに、今後、万博の赤字が税金で補填されるのだろう。きっと増税だ。「メガネ」に「増税」がくっつけられるわけだ。 

 特徴が「メガネ」しかないというのも締まらないけれど、それでもただの「メガネ」の方がよっぽどマシだ。キシダが自認する「聞く力」を発揮できていたら「よく聞くメガネ」とか「傾聴メガネ」なんて綽名がついたことだろう。「メガネ」の他には「増税」しかないのか。こういうのが国のトップだと思うと、なんとも情けなくなってくる。 

 先々のことに思いを馳せると暗澹とした気分になってくる。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

 

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