12月1日:縁を切る
今日は定休日だけど、職場に来ていくつかの作業をする。本当は、それらは昨日なされているものだった。昨日が潰れたので、今日に持ち越したわけだが、今日は今日で予定していたこともあった。それで今日の分の予定は延期しなければならなくなった。
昨日が潰れたというのは、ある人との関係のためだ。あの人はいつもああだ。彼女はブログには書かないでくれと頼んだけれど、僕は彼女の指図に従うつもりはない。それに、ここに書くのは僕自身のことだ。基本的に僕の体験したことを綴るだけだ。でも、一部、彼女のことに触れることになるだろう。
彼女とは普通に付き合うこともできるけれど、決して恋愛対象にはならない。彼女のような人と交際するとエライ目に遭うということを経験的に知っているからだ。今だにああいう人と縁ができてしまう自分に嫌気がさしているのだ。それが僕を憂鬱にさせているのだ。
彼女と会うのは構わない。しかし、彼女は帰らないのだ。「では、今日はここまで」―「じゃあ、またね」と、あっさりと別れないのだ。ぐずるのだ。遊園地から帰りたくないと駄々をこねる子供のようなものだ。
そういう人たちとの経験から、彼女のような人に完全な満足を与えてはならないということに僕は注意している。適度の満足を与えて、不満足な部分や不明確な部分を残しておかなければならない。満足を得ている限り、それに向き合うことがなくなるからだ。それにそれは彼女が耐えなければならない領域であるからだ。そこを彼女から奪ってはならないのだ。しかし、彼女はそれに耐えられないので、確実な保証を得るまで帰ろうとしないわけだ。カウンセリングの場であれば、時間の制限があるからましであるが、プライベートでは無制限だ。僕は地獄のような時間を覚悟しなければならなかった。
彼女は主体的に帰ろうとしなかったのだが、それは僕が引き留めているという話になっている。本当は彼女の方がぐずっているのである。彼女が自分の満足する答えを得られないから、それを引き出すまで僕を引き留めるのだ。果てしない深淵に落ち込むような気分がする。
しかし、ここで彼女の要求を呑んではいけない。こういう人との関係においては、大抵の場合、しつこく粘られて、ついにその要求を呑むことになるのだけれど、それは相手を追い払うためにしてしまうのだ。さっさと厄介払いしたいから、その場限りの保証や満足を与えてしまうのだ。そうして一つの要求を呑めば、次にはさらなる要求が待ち構えているということを覚悟しておかなければならない。絶対にそれだけでは終わらない。実際、彼女の出してくる要求も最初の頃よりエスカレートしているのだ。正確に言えば、粘着性がエスカレートしているのだ。
だから、どこかで限界を設定しなければならないのだ。そうでなければ共倒れするからである。正直に言わせてもらう。彼女のような女性はまともな恋愛も結婚もできない。男を潰すからである。こういう女性と一緒になると、男性は常に与え続けなければならなくなる。彼にとって大切なことを放棄してまで、そうしなければならなくなる。
実際、昨日の僕はその立場に置かれたわけだ。僕は僕でしなければならない仕事がある。それは強制的に放棄させられてしまう。「仕事があるから帰って」は彼女には通用しない。「わたしはここにいるから構わずに仕事をして」と来るのがオチだ。そしてべったり付き纏われた日には、とても落ち着いて仕事などできない。だから、帰ってくれと頼む。今度は「いつ会えるかはっきり返事するまでは帰らない」と来る。はっきり言って心理的脅迫である。
彼女は僕のことが好きらしい。でも、自分が助かるために、自分の安心のためには、「恋人」の迷惑などどうでもいいのだろう。「恋人」がどうなろうとお構いなしなのだろう。それが彼女の「恋愛」なのだそうだ。自分が助かるだけの恋愛で、そのためにはそれを押し付ける。「恋人」が潰れても自分が助かればいい。いい迷惑だ。
もし、そういう聞き分けのない女に対しては、殴ってでも帰らせればいいとお考えになる男性もいるだろう。しかし、それをやってしまうと、それはそれでまた彼女を満足させることになる。彼女の「対象破壊」に一役買ってしまうからである。
彼女が分かれる際には、それも不本意な別れ方をする場合、決まって辛辣な一言を浴びせてくる。ある意味でそれは「攻撃」なのだ。僕は抑えがたい怒りに掻き乱される。でも、それを出してはいけないのだ。この心理は誰もが体験していることなのだが、なかなか具体的な体験として記憶していないかもしれない。僕の場合、子供の頃、壊してからでないと捨てられない玩具があった。捨てる前に壊すのだ。そうしなければその玩具と別れられない思いがしたのだ。それと同じ心理である。
彼女のようなタイプの人は、相手と別れる前に、相手を「破壊」することが多い。「破壊」しなければ相手と別れられないのだ。相手が「いい相手」のままだと別れることが困難なのだ。だから、無意識的にであれ、相手を「破壊」する言動が発動されてしまうのだ。
そうした言動に刺激されて、彼女に暴力を振るうということは、彼女の中で僕が「破壊」されることを意味する。彼女の中にある僕のイメージとか像が、これにより変更されることになる。これは彼女に別れを容易にするが、彼女のためにはならないことなのだ。だから、それはしたくないという思いがあったのだ。
ああ、こんなことを書いている自分がますますイヤになってくる。彼女はこれを読むかもしれない。どうぞ読んでいただいて結構だ。それで少しでも自分を恥じてくれれば結構だ。僕でさえ自分自身を恥じているのだ。彼女がそれをしてはいけないなんて法はない。
昨日、半日潰れたことで、今後の予定が狂ってしまった。でも、彼女とこれで縁が切れるなら小さい犠牲だった。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)