12月1日(金):無為な問い合わせ
今日は午前中はゆったりとクライアントと会うことができた。金曜日はそれほど忙しくはないが、月末・月初めの作業で午後からはけっこうバタバタして過ごした。おまけに、12月に入ったから大掃除のこともやっていかないといけない。
そういうわけで、午後からは、銀行めぐりをしたり、消耗品などの補充をしに買い物に出たりした。大掃除のことも、今日は取り掛かっていないが、必要なものは準備しておいた。
今度の火曜日、つまり次の定休日にはサイトを更新しようと考えているので、公開できる原稿を揃えておいた。これらはもう一度読み直してみないといけない。その上で公開するかどうかを決める。
ランディングページのことも少し手を出したが、満足な出来栄えにならず、保留。最悪の場合、ボツになる。
勉強はヴィゴツキー心理学について復習する。「最近接の発達領域」に関してもう一度正確に学んでおこうと思う。「最近接の発達領域」という考えは魅力的だ。ヴィゴツキーはそれを科学的思考の発達という文脈で論じた。それを他の領域に無条件で応用することは問題があるかもしれないが、僕はある程度の応用は可能であると考えている。
夜は1時間ほど歩行する。今日は十分歩いた方だと思うのだけど、しっかり歩いておく。ちょっとそこまでといった程度なら、毎日、幾度となく歩いているが、まとまった時間を歩いてみる。それで足の具合がどうなるかを見てみようと思うわけだ。
帰宅してからは、軽く食事をして、マカロニウエスタンを観る。まだ未鑑賞だった「ゴーストタウンの番外地」を観る。なかなか良かった。いつかこの映画のことも書こう。
以上が今日の一日だ。
今日はよく分からない電話があった。相手の声が小さいのか電話が遠いのかわからないけど、はっきり聞こえないのだ。何か聞こうとされていたようだ。僕はそういうのには答えないことにした。
ちょっとお尋ねしますというような問い合わせにはもう応じない。それにいちいち応じているだけの時間もない。それに、こうした問い合わせに応じることは「反治療的」な行為であると、最近はつくづく理解するようになった。
もし、聞きたいことがあるなら、その前に僕のクライアントになってもらわないといけない。そうでなければ、僕はどういう立場でその人にものを言うことになるのかはっきりしなくなるのだ。
考えてみれば、それが通常の順序ではないかと思う。いきなり医者に尋ねるような人はいないだろうし、その前にその医師の患者になるものだろう。弁護士なんかに相談するのも同じで、相談の前にその弁護士の依頼人になるのが筋ではないだろうか。どんな場合であれ、お互いの役割とか立場を明確にして、関係を形成してからの話ではないだろうか。
僕は「治らない人」は途中をすっ飛ばすという印象を抱いている。きちんと順序を踏める人の方が「治る」のである。手続きや過程をすっ飛ばそうとする人ほど治りが悪いのだ。こんなこと説明するまでもないことだとは思う。そして、彼らがそうしてしまうのは病気であるからではないのだ。それをすることそれ自体がその人の「症状」であると僕は考えている。まあ、こんな話、ここではどうでもいいことだ。
今後は問い合わせには応じないようにしよう。予約の電話だけを受け付けよう。問い合わせをした人が、クライアントになるケースは少ない。ほとんど無いと言ってもいい。そうなのだ。その人はクライアントになることができないので、問い合わせをし続けるしかないのだ。
この辺り、IT業者と見解に違いがある。彼らはそうして探している人たちとカウンセラーをつなげようとする。僕はそれは無理だと考えている。探している人は一生探し続けるのだ。それはつながらないからではないのだ。問題はそんなところには無いのだ。その人がそのカウンセラーのクライアントになるかならないかは、その人の決断によるものであって、サイトの印象やなんかで決まることではないと僕は思うし、仮にそれが関与しているとしても、ごくわずかに過ぎないと考えている。
カウンセリングを受ける人は速やかに受けるものなのだ。スッと予約を取るのだ。偵察したり試したりすることなどないのだ。だから、そういう人は経過がいいのである。上手く行くのである。そういう人にだけ来てもらえたらいいのだ。
それに、最初の予約を取る段階に至るまでに逡巡し続ける人は、僕のところに来ても絶対についてこれない。それくらい厳しい一面が僕のカウンセリングにはあるからだ。なぜ、厳しい一面があるかと言うと、クライアントが今後とも生きていけなければならないからである。クライアントが生きていけるようになるためには、厳しさも必要なのだ。
あまり個人のことを書くわけにはいかないけど、今日のクライアントは本当に遠方から来られている。来る人は来るのだ。ユングの自伝の中に、アメリカからスイスのユングのところへ毎週通った人のことが書いてあるらしい。そう、クライアントになることのできる人にとっては、距離でさえ問題ではないのである。
その第一歩さえ踏み出せない人に何ができるというのだろう。その人たちの問い合わせに応じたとして、一体、何になるのだろう。それでその人が一歩踏み出すことができるわけでもないだろう。お互いに時間の無駄なだけではないだろうかとさえ僕は思う。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)