12月1日(火):激痛
今日は定休日で休みだ。それでも職場に行って事務仕事なり勉強なりをしておこうと予定していた。
ところがである。朝起きたら足に激痛が。ツーの奴かとも思ったけれど、ちょっと違うようだ。左ひざと右足と、両方に痛みが走る。鎮痛剤を飲んで、午前中は寝て過ごす。
昼前に再度起きると、痛みがましになっていた。薬が効いているのもあるだろうけれど、これだけ薬が良く効くということであれば、そんなに大したものではないだろうという安心感も生まれた。
それで、やめとけばいいのに、午後から外出する。
まず、散髪に行っておこう。しばらく行く機会もなく、けっこう伸びまくっている。それをバッサリ切り落としてサッパリする。
散髪屋を後にすると、しばらく近辺を散歩する。久しぶりに映画を借りる。
そうだ、映画のことも書こう、とその時は思った。いつか書いて公開するかも。
それで夕方から夜にかけて、ずっと映画を観て過ごした。それで今日一日は終わった感じだった。
この冬はまた足の痛みに悩まされそうだ。毎年、夏よりも冬の方が調子が悪い。気温とか気圧とかの関係もあるそうだ。ハッキリ言って、自分の身体には自分でも嫌気がさしているんだけれど、きっとそれは僕だけではないはずだ。年を取るということ自体、そういうことなんだと思う。自分だけが、いい意味でも悪い意味でも、特別だなどとは思いこまないようにしよう。
最近はAC信奉者についてあれこれ書いている。彼らにはそれがある。何か自分だけが特別だみたいなところがあるわけだ。ハッキリとそう言うわけではないけれど、彼らの言動の背後からそれが感じられることも多い。まあ、若い人にはある程度そういう傾向を認めることもできるかもしれない。自分が他の人と同じであるとはなかなか思いたくないのかもしれない。
ああ、しかし、夜になると痛みが再燃してきた。寝てると痛みで目が覚める。もう一度薬を服用し、それが効くまでこうして起きていることにした。
他に何か書いて残しておきたいと思うようなことが今日はあっただろうか。家族は別として、ほとんど誰とも会わずに過ごした一日だったな。散髪屋などの店員さんくらいなものか。
今日の散髪屋の店員はなんか愛想が良かったな。いつも同じ店を利用する。そしてなぜかいつも同じ人に当たる。今日もその人が僕を担当しそうな感じがして、次の人と順番を変わってもらおうかと思ったくらいだった。別にその人が悪いわけではないんだけれど、どうも好かんのだな。彼は余計なことを言いすぎる。でも、今日はなぜか愛想が良かったわけだ。彼の機嫌が良いのか、それとも彼なりに何か反省するところがあったのか知らないけれど、今日はなんの不快感もなかった。
足の痛みばかりに気を取られていたけれど、案外、いい経験をたくさんしているかもしれない。痛みのおかげでそれが見えなくなっているということであれば、ちょっと考えものだな。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)