11月9日:経験は個人にしか意味を持たない

11月9日(水):経験個人にしか意味を持たない

 

 午前中は家のことをする。大型の荷物を運ぶ手伝いをする。体の節々が痛いのだけれど、今日は少しましだ。昨日休養したのが良かったのか。

 荷物運びも、必要だからするのだけれど、できれば今はしたくない。変な動きをしたり、変な力の入れ方をしたりして、体にガタがきても困るのだ。今は特にそうだ。バイトもしているし、サイトも復活させなければならないし、僕自身の復活もしていかなければならない。

 家の手伝いをしてから職場へ向かう。

 道中、買い物などをする予定であったが、トイレに行きたくなり、急遽、駅のトイレに入る。そうして順序が逆になった。

 職場入りしてからは、何度か外に出た。

 お昼は珍しく外食した。以前よく行っていた居酒屋さんである。昼間はランチもやっている。そこのランチが僕は好きだ。メインのおかずの他に小鉢がいくつもついているのが嬉しい。そして、久しぶりに「美味しい」と感じた。

 

 HPの業者から電話があったようだ。留守電に吹き込まれている。サイトの方はあまり考える時間がないので困っている。まあ、それは追々やっていけばいいか。

 今日もサイト原稿を揃え、大掃除を少しだけ前に進める。

 あと、今晩のバイトに備えて体を休めておく。節々が痛いので不安もある。

 

 夕方頃、職場を後にして、バイト先の工場に向かう。

 仕事の方はまあまあこなせたと自覚している。どちらかと言えばいい方だ。

 最近、工場の人たちとも会話をする機会が増えた。生産量が減少する時期であるためか、他の人たちにも余裕ができたようだ。限られた範囲の人たちとだけれど、適度に会話するのもよろしいように感じている。

 ただ、僕自身は黙々と仕事をしたいタイプである。会話とかすると気が散ってしまう時があるからである。

 

 電車の時間があるのでバイトは23時で終了だ。

 その23時に工場では新人研修みたいなことをやっていた。こんな時間に研修なんて、とも思ったけれど、また新しい人たちが入ってくるのかと思うと、嬉しい反面、うかうかしていられないという気持ちにもなる。つまり、少しでもスキルを増やしておかないと僕はお払い箱になるかもしれないなどとも思うからである。

 

 工場を後にして駅に向かう。実は20分ほど余裕がある。そこで僕は道中にあるコンビニで一服するのである。しかも今日はスーパードライ付きだ。

 このコンビニの駐車場で女性二人が話し込んでいるのをよく見かける。いつも変電設備のキュービクルの前に座り込んで話している。多分、看護師か何か、病院関係の人たちだと思う。

 彼女たちが小中学生の頃の話をしているのを耳にした。体育の時間で着替える時のことや、ブルマ―からパンツがはみ出してしまうことや、陸上部のタンクトップがイヤだったとか、そんなことを話している。女子はイヤだろうな。

 面白いのはその後で、男子も「はみ出している」からイヤだという話をし始めた。体操服の短パンから「ブツ」が見えているのが不快だったなどと彼女たちは話す。思わずビールを吹き出しそうになった。イヤだと言いながら見ていたんじゃないか、とツッコミそうになった。

 しかしまあ、人それぞれの経験があるものだ。その経験の中には同世代に共有のものもあれば、世代を超えて共有するものもあるだろう。中にはその世代だけが経験したというものもあるだろうと思う。

 人の経験とはそういうものだ。経験はすべて個人的なものだと思う。僕が今日経験したことも、僕個人にしか意味がないものであるかもしれない。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

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