11月6日(日):大阪駅周辺
先日、11月3日の祝日は仕事を休みにした。祝日は極端にクライアントが減るのである。普段の日曜日よりも分が悪いのである。だから祝日に関しては、これからも休室しようと考えている。
さて、その3日のことであるが、僕は大阪の方へ用事があって出かけていた。大阪も随分近代的になったものだという感じがした。USJの周辺も通りかかったけれど、あの辺りも昔とはまったく変わってしまった。以前は特に何もないというような地域だったのだけれど、USJと周辺に施設等ができ、一つの繁華街のような景観を呈していた。あの光景を僕は好きになれない。
梅田に戻って、今度はJR大阪駅周辺を歩く。話題になった大丸と伊勢丹も見てきた。実に恐ろしい場所だった。あんな所では僕は楽しめない人間なのだ。あまりに人工的すぎるのである。
町や建物というのは、ある意味では、生きているものだと僕は捉えている。自然に形成されていくという面が必ずあるものだと思う。それが大丸―伊勢丹やUSJ周辺というものは、何か最初から完成されたものをポンと差し出されたような感じがしたのだ。だから、僕にとっては殺風景だったのである。それらは、僕の目からすると、完璧に完成され、如何なる変化をも受け付けない強固なイメージをそこは発散しているのである。如何なる変化も変容も受け付けないということは、死んでいるということと等しいのである。だから生命感を感じなかったのである。
それと余談ではあるが、大丸―伊勢丹を歩いていて、これは相当な電力消費量だろうなと思った。照明関係はもちろん、エレベーターやエスカレーターのような動力関係もかなり使用しているだろう。電気代だけで一か月に何千万円かかかるのではないだろうか。世間は節電ムードなのに、なんだかふんだんに電気を使いまくっているという印象を受けたものである。
その後、そういう殺風景な場所を後にして、僕が向かったのは、かっぱ横丁の古書街である。この日訪れた場所では、僕が一番落ち着ける場所であった。サマーセット・モームの短編集を一冊買ってしまった。今月は本を増やさないと誓っていたのに、これは掘り出し物だぞと思うと、ついつい買ってしまうのである。
その本は、帰りの電車の中で読み終える。読み終えると言っても、事故があって電車が遅れたということもあるし、その本自体が薄いものでもあったからだ。そんなにたいへんなことではなかった。この事故に関してはいずれ書きたいと思っているのだが、まあ、この本は買って良かったと思っている。モームの人間を見る目が僕は好きである。作品の中で、ハッとする箇所がいくつもぶつかるのである。そして、僕は思うのである。モームはこの人物のこの部分を見ているのかと。つまり、小説の中の人物を描写しているのだけれど、その人物の本質的な部分を突いている箇所に出会うと、僕は目が覚めるような思いがするのである。そういう時、僕はこの本を買って良かったと思うのである。
結局、この日は、USJ周辺でも、大丸―伊勢丹でも何も買わず、かっぱ横丁の古本屋でモームの短編集一冊を買っただけである。僕はそれで十分満足しているのである。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(再録に際して)
今でも大阪駅周辺の光景は好きになれない。殺風景に感じられるのは当時も今も変わらない。多少、あの光景も見慣れたということが当時との違いか。(平成25年11月)