11月5日(土):原付免許
四十になって、今更ながら原付免許を取ろうと思っている。僕は乗り物が苦手で、自転車もなかなか乗れなかったほどなのである。それが原付免許を取ろうと思って、今日(2日)、問題集を買ってきたのである。
若い頃に原付免許を取らなかったのは、当時、僕は必ず飲酒運転をしてしまうだろうと思っていたし、必ずしてしまうという自信があったのである。今、酒を止めて、そういう心配から解放されると、免許を取ってもいいなと思えるようになったのである。
それと、もう一つ理由がある。父の原付が一台、実家の方で遊んでいるのである。つまりマシンはあるのに、免許がないという状態なのである。その原付を僕が譲り受けたら、免許さえ取ればすぐに乗れるのである。
免許そのものはゆっくりでもいいから取ったらいいと思っていたのだけど、そうも言えなくなった。と言うのは、兄夫婦がその原付を寄こせと今言ってきているのである。僕としては、何としてでもそれを阻止したい。と言うのは、これ以上兄たちに譲り渡す必要はないからである。兄たちの方はすぐにでも引き取ることができる状態にあるのだけど、駐輪場所の関係でそれが伸びているのである。彼らが場所を見つけると、一番に原付を持っていくだろう。だからそれまでに僕が免許を取って、この原付は僕の物になったということにしなければならないのである。彼らの思い通りにはさせないというのが、僕が原付免許を取る一番の理由でもあるのだ。不純な動機だと、我ながら思うのであるが。
とにかく計画の第一弾は成し遂げたのである。実際に免許はまだ取っていないけれど、僕が免許を取るために勉強しているという実績を作ることができるからである。後は、現在のところの所有者である父が、それを兄に渡すか僕のために取っておくかを選ぶだけである。昨日、父と原付のことで話をしてみると、その時の感じでは、原付を僕に譲ろうという姿勢が強いようである。案外、父もこれ以上兄に持って行かれるのを嫌がっているのかもしれない。
僕の中では、兄のことではいろんな確執を経験した。長い間それを経験してきた。それを大部分克服しているので、今では兄とも普通に接することができるのである。兄はレストランの経営で失敗している(と僕は見做している)。一度だけ兄のレストランに行ったことがある。その一回だけで十分であった。それ以上は見る必要がなかった。僕には兄が成功できないのがよく理解できるのである。僕が大学生の頃から、僕にはそれが見え始めていたのであり、僕が二十代の後半くらいからは、それが確実に見えるようになったのである。振り返ると、僕が小学生の頃からそれが見えていたのだけれど、小学生の僕はそれをそのようには考えなかっただけなのである。親も周囲の人も兄のそれが見えずに、兄に多大な期待を寄せていたのであるが、可哀そうなのは、その人たちである。誰も兄の本質が見えなかったのである。
まあ、兄のことを悪く言うつもりも今はない。僕と兄とがいくら違うと言っても、親不孝者の息子であるということでは、僕も兄も違いはないからである。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(再録に際して)
結局、多忙の中に日々が過ぎ、原付免許を取ることもなく終わった。父もあの原付はもう古いからと言って処分してしまっていた。父の原付に群がった僕や兄がなんとなく情けなく感じられる。(平成25年11月)