11月28日(土):擬態語
今日は午前中は家の用事があり、夕方からはちょっとした約束が入っている。今日は本当は休みにしたかったのであるが、一応、高槻には来た。予約も入れていなかったので、ひたすら勉強して過ごした。
思うところがあり、今、思考と言語、並びに知能などについて文献を紐解いている。
それとの関連でもあるんだけれど、擬態語に関する感受性を研ぎ澄ませたいと思っている。擬態語は受け取り手にある種のイメージを方向づけるであろう。そのイメージの根幹となっているのは、話の内容よりもそこで使われた擬態語にあるといった事態も起こるのではないかと思う。
例えば、「椅子がキーキー軋んだ」という文章と「椅子がギーギー軋んだ」という文章とでは、前者と比べて、後者の方がかなり古い椅子であるとか傷んだ椅子であるといたイメージが湧いてくる。
また、「お腹がゴロゴロと痛んだ」というのと「お腹がキリキリ痛んだ」というのとでは、やはり後者の方が痛みが鋭いといった印象を受ける。<o>音よりも<i>音の方が鋭敏さが増すようだ。
同じ所を「クルクル回る」というのと「グルグル回る」というのとでは、後者の方がその円周運動が大きいまたは速いといったイメージを持ってしまう。
クライアントは、時に、非常に分かりにくい擬態語を用いることがある。例えば、「ヘラヘラ笑われた」とか「ニタニタ笑われた」とかいった言葉はまだしも、「ビタビタ笑われた」(これは僕の創作である)などと言われたら、一体どんな笑いをイメージしたらいいのやらで困ってしまう。また、通常ではその動詞に使用されない擬態語が付加されることもあって、例えば、「ブスブス笑われた」とか「ズキズキ笑われた」などと表現されたら、やはり同じようにその人がどういう体験したのか一聴しただけでは把握できない感じに襲われる。
そういうことがあるので、擬態語の感受性を磨きたいなどと思うようになっているわけだ。
擬態語とは少し違うけれど、いわゆるネーミングもこれに関係すると思うので、そういう方面のこともあれこれ考えてみようかとも思っている。
ウスナジェ(Usnadze)の実験がある。無意味図形を提示して、それに該当する名前をリストの中から選べという手続きの実験である。リストには7つの単語があり、それぞれ無意味な語である。そして、けっこうな一致率を見たということである。つまり、その無意味図形と無意味語の結合がけっこう一致していたということである。
視覚的刺激はそれから連想される音響があるということになる。確かにそれはそうかもしれない。キャラクターの名前なんかはそうだろうと思う。そのキャラクターと、その視覚的特徴によって刺激される言葉や音との一致度合いが高いほど、そのキャラクターは人気が出るだろうと思う。人口に膾炙されるようになるだろうと思う。
「ピカチュー」が「ピカチー」とか「ヒカチュー」とかだったらきっとあれだけ人気は出なかっただろうと思う。「ピ」や「チュ」といった音が幼児的な印象を形成するのだろうと思う。幼児的というのは、つまり、幼いというか小動物的というか、そういった印象である。
「マジンガーZ」なんてのもいいね。「Z」(ゼット)が付くだけでシャープなイメージが増すので、直線的な造形のロボットには適合しているのかなと思う。また、「おそ松くん」のイヤミなんかも絶妙だ。
バンド名なんかにもそういうのがあるな。ビートルズの4人がローリング・ストーンズなんてバンド名を付けていたらちょっと違和感を覚えるかもしれない。バンドのキャラというかカラーというか、そういうものとバンド名の響きが与える印象とがかけ離れていない方がいいのだろうな。
そういうことを言い出すと芸名なんかも同じことが言えそうである。僕の中では「明石家さんま」という名前はあの人にピッタリという感じがしている。あの人のキャラとか醸し出す雰囲気とかと芸名が喚起するイメージとが妙に合っている感じがしている。
何の話をしてるんだかわらかなくなってきた。観念奔逸も甚だしいな。
クライアントは言葉を使って伝達してくれる。適切な言葉が見当たらないとか、どう表現していいか分からないといった時に擬態語が現れるのかもしれない。その擬態語は、何らかのニュアンスを伝えようとしているのだと僕は思いたいので、そのニュアンスを的確に把握できるようになりたいと思っているわけだ。
「みんなから笑われた」、それだけでも伝達は可能であり、僕には理解できる。しかし、「みんなからゲラゲラ笑われた」と彼が言う時には、彼はそこに恥のニュアンスを含めているのかもしれない。「みんなからケラケラ笑われた」と彼が言う時には、そこに侮蔑のニュアンスが込められているのかもしれない。
さらには、「みんなからグツグツ笑われた」と彼が言おうものなら、それは彼にとってはグツグツとはらわたが煮えくり返るような激怒をもたらす笑いであったことを意味しているのかもしれない。「みんなからブスブス笑われた」などと彼が言おうものなら、それは人々の笑いがブスブスと突き刺さった体験を彼は伝えようとしているのかもしれない。
このニュアンスを感じ取るセンスを磨きたいなどと思っている次第である。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)