11月27日(火):空しい一日
今日は定休日だけど、月末の外回り作業をやっておこうと計画していた。支払い関係と買い物関係、ついでに天神さんにお参りもしておいて、レンタルDVDの返却もしておく。
外回りのお供に上田秋成『雨月物語』を選ぶ。僕はこの作品が好きだ。とは言え、原文は読めない。現代語訳だけを読む。邪道な読み方だけど、その方が正確に内容が理解できる。全9話から成るが、分量的にはそれほど大部のものではなく、一日あれば読み切れる。
途中、長岡天神で下車して、天神さんにお参りする。紅葉もあって、それ目当ての人たちもけっこうおられた。写メで写している人もいるけど、お構いなしに前を横切る。 いつものように10円玉を賽銭箱に入れる。これは10円と決めているのだ。御縁を祈願する人が5円賽銭するように、「十分に生きる」ことを祈願するから10円だ。「十二分に生きる」となれば12円の賽銭をすることになるけど、そこまで僕は欲張らない。十分に生き、十分に仕事もでき、十分に勉強もできれば、それこそそれで十分である。 参詣の後は、ついフラフラと古本屋に入ってしまう。止せばいいのに7冊も買ってしまった。それで1000円だから、安い買い物をしたのは確かだ。でも、この7冊を読み切る時間が確保できるかどうか自信がない。
さて、午後になって、ある程度の予定をこなしてしまうと、無性にビールが飲みたくなった。高槻にある朝から営業している立ち飲み屋に入る。 お昼だというのに、すでに4,5人の男性がお酒を飲んでいる。前の大阪万博を知っているという人たちばかりだ。その話で盛り上がっていた。 別にそれで当人たちは楽しんでいるのだから水を差す必要もないのだけど、なんだか空しい人生だなと、しみじみそう感じてしまった。昔話に花を咲かせて、自分たちは昼間から酒を飲むしかできない、そんな人たちに見えてしまった。
おそらく、実際の彼らはそうではないのだろうけど、僕にはそう見えてしまった。僕自身に空しさを覚えているからだろうか。
夕方頃、職場入りする。少々酔っぱらっているが、構うことはない。今日は休日なんだから。人と会うわけでもない。仕事もしない。
もっとも、これからやらなければならないことがゴマンとあるのだけど、今日は何もしない。
とりあえず、パソコンの電源を入れる。そして、これは日課となってしまっているのだけど、ゲームの画面を開く。街を作るというゲームをやっている。施設なんかを作って、それを稼働させて、利益が上がれば回収して、さらに施設を作る。これを延々と繰り返すだけのゲームだ。最初は町ができていくところに面白味もあったけど、いい加減、この風景も見飽きた。よって、このゲームは今日限りでアンインストールする。これでこのゲームともオサラバだ。 何事も経験とは言え、ゲームの経験は何ら有益なものを僕にもたらさなかった。せいぜい、みんなこういうのをやっているんだなということが分かったくらいだ。 それから、何か書こうと思ったのだけど、考えはまとまらず、言葉が思うように出てこない。ついでに、自分が空腹であることに気づく。
そういえばお昼を食べていなかった。空きっ腹でビールを飲んだのだった。少しだけ立ち飲み屋でつまんだけど、きちんとしたものを食べておかないといけないと思い、コンビニに弁当を買いに出る。 戻ってくると、留守電のランプが点滅している。聞いてみると、業者さんからだ。ああ、もう無視だ。今日は仕事をしないと決めておるのだ。 弁当を食う。腹も膨れた。さあ、執筆にとりかかろうかいなと思ったら、ドッと疲れが込み上げてきた。やたらとしんどくなった。それで横になる。横になり、いつしか眠ってしまった。寒気がして目が覚める。チョイとばかり寝すぎたようだ。こんなことやっていると、本当に風邪をひいてしまうし、健康的ではないなと思いつつも、なぜかそうなってしまう自分が不甲斐ない。
結局、職場にいても何も捗りそうにないので、少しばかり行きつけのバーに顔を出して、それで今日は帰ることに決めた。
唯一の収獲は『雨月物語』くらいだ。あとは空しい一日であった。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)