11月20日(月):そんなに異常な思考か
深夜勤務明けで高槻に出ている。パソコンを持ち歩いているので、パソコン作業をしようと決めている。
深夜勤務はセブンの方だ。
コンビニにはどこともコーヒーマシンがある。その傍らに消耗品が置かれている。砂糖、シロップ、フレッシュ、その他、容器の蓋であるとかストローとかマドラーとかが置いてある。見たことがあるだろうと思う。
僕が働いているコンビニにもある。以前はそこは僕は関与していなかったのだけれど、ある時、コーヒーを買ったお客さんから砂糖がないなどと言われて、それ以来、僕のルーティーンにそこの補充を加えることにしたのだ。
知らない人も多いだろうから少し説明しよう。補充品をいれるところは、いわば容器のようになっている。シロップやフレッシュは何十個かで一袋である。一袋全部入れると、その容器がある程度満杯になる。
初期の頃はどうだったか覚えていないけれど、今では僕は一袋全部入れることにしている。一袋入るということは、置き場の容器がけっこうガラガラであることが分かっていただけるかと思う。それだけ入るから入れるのであり、そこまで減っているから補充するのである。
一袋全部は入らない場合、以前は半袋だけ補充したりとかしていたかもしれないけれど、今はしていない。ある程度、もちそうであれば、補充は後に回すことにする。
もし、一袋入れて、数個はみ出てしまうとかいう場合、数個だけ別に保存するのもあれだと思い、そういう時だけ置き場の容器に突っ込む。詰め込み量が多いのはそういう場合である。
僕は自分のやっていることが異常だとは思わないのだけれど、今朝、いささか注意次項が届いた。つまり、僕がそこを詰め込み過ぎるというのである。彼らの言い分だと、そこはあまり満杯にしてはいけないのだそうだ。
では、どうして満杯にしてはいけないのか。何か品質に問題でも起きるのか。シロップやフレッシュが破損するのか。そういう話なら分からないでもないのだけれど、そうではない。それらが盗まれるからだと言う。正直、そんなもん盗られても構わんわと僕は思っているのだが、彼らはそれを避けたいらしい。
しかし、量が多いとより盗まれ、少なく置いておけば盗まれないというのは本当だろうか。いや、そもそも、本当に盗まれているのだろうか。盗まれているという確証があるのだろうか。
それもそうではないらしい。それらの減る量が早いというだけのことだ。それが根拠としてあるらしい。
いい加減にしてほしいものだ。僕はそれだけを盗る人なんてほとんどいないのではないかと思う。コンビニに入って、コーヒーマシンのところから、コーヒーフレッシュやガムシロップだけをくすねるという人がどれほどいるのだろうか。
そして、コーヒーを購入した人が大量に使用する例は除外されることになる。そういう場合、「盗った」ということにはできないのである。僕も他店で経験がある。コーヒーを買ったところ、けっこう苦かったのだ。それで砂糖を入れるのだけれどなかなか甘くならない。それに加えて、よりによってLサイズを買ってしまったのだ。あの時は、追加に追加して、スティックシュガーを7本も使ってしまった。そこまでしてようやく甘くなったわけであるが、あれを万引き扱いされたら困るというものだ。
もし、コーヒー一杯を購入して、シロップ十個持っていく人があっても、俺はこんだけ使うんやなどと言われたら言い返しようがないというものだ。下手に泥棒呼ばわりしたら、こっちが名誉棄損で訴えられかねないというものだ。
もし、置き場にあるシロップがいつも根こそぎ持っていかれているとかいうのだったら、まずそのことを報告してスタッフ全員に共有すべきである。その上で、シロップやフレッシュなどは手渡しすることにしようとか決めてもいいのである。その方がよっぽど建設的な解決だと思うのがいかがなものだろうか。
それはともかく、この店の狂っているところはそこである。現状がどうなっているのか知らされてもいないのに、いきなりこういうことはするななどと注意されるのである。
まあ、どうでもええわ。僕は今まで通りに補充する。店の構造にもよるが、この店ではあそこは死角になってしまう。だからスタッフの知らない間に消耗品がなくなるのである。見えないからである。盗まれている可能性も否定はしないけれど、それよりも、「シロップがありません」とか「フレッシュがあらへんやんけ」などと客に言わせないように僕はしたいだけである。備品が常にあるようにしておきたいだけである。そういうところでも客のストレスを軽減したいと僕は思っているだけなのだが、そんなに異常な思考をしているのだろうか。
まあ、コンビニのことなんか考えるのはよそう。高槻の職場に来た時は本業のことだけを考えよう。
今日は「文献の中のクライアントたち」の事例を集めていた。まあ、サイトに公開するかどうかは別として、ほとんど趣味で事例を集めているようなところもある。いろんな人がいるものだと改めて思う次第である。
西丸四方さんの本がいい。昔の精神科医だけれど、いろんな事例を紹介している。当時は今よりもおおらかだったので、本を開くと事例が載っていたりする。今はあまり事例を事細かに書くわけにはいかなくなっている。それもまた最近の本が面白く感じられない理由となっている。患者と言おうとクライアントと言おうと、この分野は人から学ぶところのものが多いので、できるだけ「人」が掲載されている本を選ぼう。そして、出会うことのなかったその人たちを記憶に留めておくために書いて残しておこうと思う。
すでに4人のケースを書き出した。そこで小休止してこのブログを書いているわけである。今、正午である。今日はまだ半日あるけれど、これで今日のブログは書いたことにしておこうか。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)