11月18日(金):風邪、その後
今日は昨日よりも体調がよろしい。少しずつ抜け出している。なかなかいい兆しである。今朝、二人一組の押し相撲で勝利するという夢を見たのも、今の僕にとっては嬉しい限りである。力が回復していっている感じがするのである。昨日、この風邪についての洞察を得たことも大きいと僕は感じている。
風邪から快復していくと、僕はやりかけたままのものを続けたくなってきた。一番にしたのは、ディケンズの「デイヴィッド・コパフィールド」の続きを読むことだった。火曜日に読んで、そこから滞ったままだった。読むと、ちょうどデイヴィッドが家から追い出されるように学校に入れられてしまう場面からだった。学校での生活があり、休暇中に一度家に戻る。そこでの母との再会がデイヴィッドにとって最後の母の姿となってしまう。その後、母親が亡くなり、再び家から追い出されるようにして、デイヴィッドは生まれ育った家を後にする。読んでいて、なんと今の僕の気分とぴったりくるのだと思った。立て続けに出会いと別れを経験しているデイヴィッドに、僕は思わず感情移入してしまったのである。
この長編小説のまだ出だしの部分に過ぎないかもしれないが、僕はもう勝手に「これは絶対にいい小説だぞ」という確信を抱いている。そして、なぜ、僕がこの小説に惹かれるようになったのかも理解できるのである。
この小説はディケンズの自伝的な作品なのである。作家が自伝的要素の強い作品を書く例というのはいくつもある。モームにもそれがある(『人間の絆』)。要は、なぜ作家が人生の途中で、自分の人生を振り返るような作品を書きたくなるのかということを、僕は知りたいのである。なぜ、自分自身を書きたくなるのだろうかということである。しかも、自伝ではなく、フィクションの形でもってそれをしなければならないのだろうということも僕は知りたいのである。そして、それと同じくらい重要なのは、なぜ、今の僕がそれを読みたいと思っているのか、そのような作品を必要としているのかという疑問である。僕はしばらくこれに取り組みたいと思っている。もう一つ、ディケンズはこの作品を39歳頃に書いている。大体、今の僕と同じ年齢である。この年齢においてディケンズに何が生じたのだろうかということも気になる。
僕は今、自分が四十になって、この年代の問題に取り組み始めている。僕はこれを「四十問題」とでも名付けようと思う。三十代後半から四十代前半までの年齢層の人が抱える「問題」である。まだ、何一つ具体的な形にはなっていないが、ディケンズの「デイヴィッド・コパフィールド」は何らかの手掛かりを与えてくれるのではないかと、僕は期待している。恐らく、今晩は睡眠時間を削ってまでも読んでしまいそうである。こんなことをしているから、風邪もなかなか良くならなかったのかもしれない。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)