11月16日(土):せっかく就職したのに
半分ひきこもりのような状態からどうにか抜け出して、今年、某工場に就職したクライアントがいる。彼も職に就けて喜んでいたし、何よりもご両親の安心と言ったら大きなものだった。良かった良かったと僕も思っていた。
その後、彼とはあまり会うことがなかった。彼の方でも何かと忙しいようであった。今日、彼は近況報告も兼ねて面接を受けた。今、週休4日だと言う。最初は土日が休みだったのに、やがて金曜日が休みになり、その後月曜日も休みになったと言う。火水木と出勤すると、4日休みという生活になっているらしい。
彼が以前のようにならないかと心配に思う気持ちがある一方で、今の彼を見ていると以前の彼には戻らないだろうという安心感もある。でも、どちらに転ぶかは今のところ分からない。
その工場は冬場は繁忙期でとても忙しいそうで、彼はその時期が来るのをどこか恐れていたところもあったようだ。しかし、幸か不幸か、この冬は逆にヒマになっているというわけだ。入社初年の彼にはラッキーだったかもしれない。
工場がヒマというのには訳がある。その工場で作る製品の部品を作っている工場が千葉県にあり、先日の風水害でその工場が稼働していないそうである。そのため製品を作ろうにも部品が入ってこないというありさまなのだそうだ。
加えて、受注もかなり減っているそうだ。こちらは経済とか外交とかの問題が関係しているらしい。
彼もせっかく就職したのに、半休業状態だ。何事も順風満帆とはいかないものだ。忙しくなくとも、細々ながらでも、毎日仕事がある方がいいかもしれない。そう考えると、僕はまだ恵まれている方なのかもしれない。
ともかく、彼にはくじけずに頑張ってほしい。物事がうまく進まない状況でもよく耐えてほしいと願う。
他にも、先月から就職活動を始めたクライアントもあるし、今月から職場復帰を果たしたクライアントもある。良いことばかりではないだろう。前途多難なこともあるだろう。とにかく彼らの幸福を願う次第である。
今、どことも不景気なんだろう。会社もアルバイトを認めているところもけっこうあるそうだ。従業員は昼間はその会社で働いて、夜は他の仕事をする。そういうダブルワークをやっている人も世間では少なくないようだ。
それをやろうとすると、一つのアイデンティティではいけないわけだ。複数のアイデンティティを持っている必要がある。アイデンティティ感覚が強固な人にとっては生きにくい時代になるかもしれないな。僕のような古臭い人間にとってはますます生き辛い世の中になっていきそうだ。
ああ、そうだ、こんな電話もあった。一緒に生活している家族の方が精神的な病のために入院しているそうだ。だいぶん、回復してきて、徐々に退院の練習をしているようである。電話してきたのはこの患者さんの家族の方である。
この人は、この患者にカウンセリングが必要ではないかとお考えになられたようだ。確かに健常者から見ると精神科の治療というのは物足りなく見えるものだとは思う。投薬と静養ばかりに見えるかと思う。でも、本当はそれがとても大事なことなのだ。
カウンセリングを受けるのはいいのだけれど、それはその患者さんが希望していることなのかと問うと、どうもそうではないらしい。本人が求めている場合と周囲の人が求めている場合とでは話がまったく異なる。自分にはカウンセリングが必要だと考えているケースと、あの人にはカウンセリングが必要だと周囲の人が考えているケースとでは、全然中身が異なるのである。両者は同じように考えるわけにはいかないのだ。
僕はこの患者さんのことは分からない。医師たちがどういう考えに基づいてどういう方針を立てているのかも知らない。本来、僕に訊くのはお門違いなのである。しかし、どうも医師たちはこの患者の退院に関してはかなり慎重であるように見える。ここで家族が余計なことをすると、きっとこの患者さんにとって害となるだろうと思われる。だから、カウンセリングは時期尚早であるようだと僕はお伝えした。
まず、医師・病院と患者さんとの関係がある。患者さんと家族の方の関係もある。そして、家族の方もまた医師・病院との関係がある。三角関係のようなものが出来上がる。ここで問題になっているのは、家族の方と医師・病院との関係である。家族の方は医師・病院のやり方が生ぬるいと感じられているようだ。つまり、医師・病院に対する不信感が生まれているわけだ。この家族の方と医師・病院との関係は、患者さんにも影響するはずである。家族の方はしばしばそこを見落とすようだ。
もう一つ問題は、この患者さんが回復期にあるということだ。ここで周囲が何か新しいことを始めさせようとすると、患者さんには精神的負担となる。つまり十分に回復するまで待ってもらえないという経験を患者さんの方ではしてしまうわけであり、加えて、家族の方との関係を良好に保とうとして無理にその要求に応じようとするかもしれない。悪くすると、この患者さんを追い詰めることになりかねない。
もし、この患者さんが追い込まれたらどうなるか。回復期にあるということは、行動で反応できるということもである。行動化できるわけだ。最悪の行動化は自殺とか殺人である。周囲が良かれと思ってやったことでも、それが最悪に事態を招くこともあるのだ。回復期にある人ほど慎重にならなければならないのである。
一応、僕はこの人の電話に対応した。僕には無関係の人たちなんだけれど、危険もあるので、幾分、お節介な助言もした。問い合わせした人は感謝してはったけれど、僕の中では一抹の不安が残っている。
しかし、まあ、内容は別としても、よくあるパターンの電話だ。誰かの問題として訴えてくるのだ。自分の問題ではなく、身近の誰かの問題として最初に訴えかけてくるのである。この人は、自分が患者さんの精神病の一因になっているとは思いもしないだろう。患者さんにはカウンセリングが必要であるということを、患者さん本人を抜きにして、この人が決定しており、現実に動いているのである。本人並びに医師たちと相談せずにそうしたのだろうと思う。それが患者さんの病気にどのように働いているか、この人には恐らく分からないだろう。
だからと言って、この人を悪く言うつもりはない。大部分の人は知らないのである。そういう知識がないのである。そして、この人が患者さんの治療を焦るのは、他に厳しい状況があるためかもしれない。病人を抱えるということは、どんな病気であれ、家族の負担は相当なものになる。そういう状況があるとすれば、少しでも早く患者さんを何とかしたいという気持ちが生まれるのも仕方がないかもしれない。
ふう、今日も一日、いろんなことが起きたな。取り敢えず、無事に一日を終えたことは良かった。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)