11月14日:法事 

11月14日(水):法事

今日は休みにしている。法事があるので、仕事は休みにした。僕の祖父にあたる人の50回忌だ。

 僕はこの祖父という人を知らない。知らないけど、僕は法事に出ることにした。もちろん、僕は出席しなくてもいいのだけど、興味があって出席することにした。

 お寺からお坊さんが来て読経してくれる。僕はこのお坊さんがどういう仕事をするのか見たいと思っていた。出席の大きな理由はそれだ。僕は詳しくないけど、お経を読むだけでなく、いくつもの細かい作法とかしきたりがあるはずだ。準備から後片付けにいたるまで、その身のこなしにはそれぞれ意味があるはずだと思う。僕には理解できないとしても、それを逐一見たいと思った。

 それにしても読経は音楽だとあらためて認識した。手渡された経本を見ると、お経の横に記号がふってある。音の高低、息をつぐ場所、ビブラートをかける場所、すべて記号で表されている。よくできた楽譜だと思った。

 読経のあとは簡単な説法がある。どういう説法をされるのかも見てみたいと思った。

 仏前で読経してもらった後、墓前でも読経してもらう。お坊さんってのはどんな場所でも読経するのだなと思った。

 これで今回の法事は終わりだ。半日くらいはかかるだろうと予測していたところ、実質2時間で終了だった。思っていたよりも短時間で終了となった。

 父は一つの責任を果たしたのか、ホッとしたような雰囲気があった。母は三人だけの法事なのにお坊さんがきちんとお経を読んでくれたことを感慨深げに言う。少しだけ付け加えておくと、母の言葉は正しくない。出席者が何人であろうと、お坊さんは故人に向けて、仏壇と対面して仕事をするのだから、同じことだと僕は思った。思っただけで口には出さなかった。そんな野暮な真似をするつもりはなかった。

 その後、家族そろっての昼食となった。レストランに入る。タッチパネル式の注文方法は却って不便じゃないかと感じた。若い人ならすぐに覚えられるだろうけど、年配の人には難しいのではないかと思う。便利かどうかは知らないけど、便利なものはしばしば不親切なものだ。

 食後、近くの百貨店にて買い物をする。この百貨店、僕はすごく久しぶりに足を踏み入れる。母たちが買い物をしている間、僕は店内のある場所を探す。18歳のころ、この百貨店で短期間のアルバイトをしたことがある、そこを覚えているかどうか定かではないし、今でもその場所がそのままあるのかどうかも分からない。記憶を頼りに探す。

 ああ、ここだ、ここだ。僕はその場所を見つけた。エスカレーターのすぐ近くだったことを思い出す。確かにその場所だ。風景に見覚えがある。今でもその場所が、けっこうそのままの姿で残っているというのは、なんだか嬉しい。

 店内を探して、母と合流する。何か買ってあげようと母が言う。法事に出てくれたからというので、なんでも買ってあげると母が言う。本当にありがとう。ただ、ここが100円ショップじゃなければもっと良かったのだけど。百貨店内の100円ショップでの出来事だ。

 なんでも買ってあげると母は言ってくれるけど、困ったことに、欲しいものが何もない。いろいろ品物を見て回った。結局、300円の帽子を買ってもらった。僕はそれで十分だ。

 それから帰宅となり、今日の予定はすべて終了となった。帰宅後はいつもの休日のように過ごす。なかなかいい一日だった。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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