11月11日(金):忘年会とお歳暮
そろそろ忘年会の話が出てきているという人も多いことでしょう。また、お歳暮をどうしようかと考えておられる方もいらっしゃることでしょう。僕はそのどちらとも無縁の年末を迎えそうである。
忘年会に関しては、一件だけお誘いがあったのだけれど、僕は仕事があるので欠席にした。酒も呑まないので、行く愉しみもないのである。
お歳暮に関しては、僕はそういうものは止めましょうと言っている。中元、歳暮の類はしないでおきましょうと。序に年賀状も止めましょうと言っているのである。
中元にしろ歳暮にしろ、三千円とか五千円の品物をお互いに送り合っているだけなので、僕から見ると、なんと意味のないことをしているのかと映るのである。これの一番悪い所は、品物には値段があるということである。この値段に縛られているという人もけっこう多いのではないかと思う。
値段に縛られると言うのは、あの人はいつも三千円くらいの品物をくれるから、こちらもそれくらいの値段の品物にしないとあの人が気を遣ったり気分を害するのではないかなどと悩んで、品物を選んでいるということである。これをすると、こちらも先方も、三千円の枠からはみ出すことが容易ではなくなってくる。そして、毎年三千円の品物を、というようにお互いに定着してしまうのである。おかしな話である。
目に見える品物、値段のついている商品や金品が間に介入してくると、人間関係がややこしくなるものである。人間関係というものは目に見えないものであり、見えないということで穏やかに収まっていることも案外多いものである。目に見える物を間に挟むと、どちらが多いとか少ないとかいうことが一目瞭然となってしまうのである。そこでバランスを取ることを余儀なくされてしまうのである。目に見えない物に関しては、そういうことがまず生じないのである。一緒にお喋りして、どちらが多く喋ったとか、どちらがようけい笑かしたとか、そういったことは問題にならないし、バランスを取らなければというような強迫観念も生じないものではないか。
品物を送り合うよりも、電話の一本でも掛けあって、「いつも世話になっておおきに」とか「今後ともよろしゅう」とか言い合う方が、よほど人間的な行為だと僕は思っているのだけど、これは単に、僕が非常識なだけなのだろうか。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)