10月9日(金):テレビを見て
今日は一日中家にいて、原稿や記録を書いたり、家の作業をしたりして過ごす。職場をきれいにするのと同時進行で実家の自室を片付けている。
夜、少し疲れたので休憩しようと思い、テレビをつける。ほとんどテレビを観なくなっているので、こういう機会に何か観てみようと思い立ち、何気なくチャンネルを替えていく。
ちょうどダウンタウンさんの番組が始まったところだった。まあ、これにするかと思い、観つづける。ダウンタウンの二人と坂上忍さんの三人で「はしご酒」をするというもので、「はしご」するそれぞれのお店に誰かゲストが控えていて、そこで本音トークをぶっちゃけるという内容だ。いささかチープな企画という感じがしないでもない。
場所は東京の下北沢だった。見ていると、なんだかいい所であるように思われてきて、いつか下北沢まで呑みに行こうかななどと思ってしまった。
それはさておき、いろんなゲストが出てきて、あれやこれやとトークをするのだが、何が面白いのかさっぱり分からなかった。もう現代の感覚についていけなくなっている自分を発見してしまった。
見ているといろいろと思うところもあるが、芸能人さんであれ、あまり個人に触れるようなことは書かないでおこう。その中で一つだけよく分かるという場面があったので、それだけ取り上げよう。
最後のお店のゲストにウエンツさんが登場する。ウエンツさんはそこで彼が抱えている悩みを打ち明ける。坂上忍さんはそれに応じるのだけれど、険悪な雰囲気が両者の間に漂う。そして話は平行線を辿ったまま終わる。
ウエンツさんは、いろいろな仕事をこなしているけれど、その中で核になるものが欲しいと訴えている。一方、坂上さんの方はいただいた仕事を一つ一つこなせばいいんだと返している。どちらの言い分も正しいというか、よく分かるように僕には思える。
ただ、この両者の話がすれ違うのは、レベルに差異がるからだと思う。つまり、ウエンツさんの訴えは、いわば「人格障害」レベルのものであるのに対し、坂上さんは「神経症」レベルでそれを捉え、それに基づいて返しているように思われるのだ。
ウエンツさんの言っていることは、「自我の拡散」ということになるかと思う。バラエティの困ったところであるが、もっとその人の話を聴きたいと思っても、他の出演者が横槍を入れてきたりするので、聴きたいと思うことが邪魔されてしまうのだ。だから本人の口から聞けないことは僕の方で想像力を働かせるしかないのである。
自分の核になるものが欲しいというウエンツさんの訴えは、僕はこういうことだと理解している。歌手として歌を歌っている自分、俳優として演技している自分、バラエティでいじられている自分、クイズ番組で回答している自分と、それぞれの自分が個別に独立しており、それをもっと凝集させたいのだということなのだと思う。バラバラに経験されてしまっているのだと思う。それに統一感を持たせたいということであり、それは拡散する自我並びに自我体験をもっと集中させたい、凝集させたいということなのだと思う。
坂上さんの方は、長く俳優さんとしてやってきて、その土台の上にバラエティやロケ番組やMCをされたりしているわけであり、各々の仕事に対して、さらにはそれらの仕事をこなす自分を凝集的に体験されているのだと思う。その目線でウエンツさんに応じてしまっているのだと思う。
両者のやりとりは、このずれが解消されないまま、平行線を辿って続けられる。「うるせえ、坂上」というウエンツさんの一言は正しい反応であるようにも思われてくる。こうしたズレは、臨床の場面でもよく生じることであるが、特に立場的に低い者もしくはより自我水準の低い人にとっては、相手との間の越えがたい壁であるかのように体験されるようである。自分の言っていることが相手には何一つ伝わらず、相手がひどく分からず屋で頑固に思えたり、意地悪な人間に思えたりすることもある。相手側に悪意があるわけではないにしても、そんなふうに見えてしまうことがあるのだ。
一方で、坂上さんの言葉も正しいとも僕は思う。しかし、その言葉は早すぎるわけである。「自我拡散」レベルの悩みが「神経症」レベルの悩みにまで発展(回復)してからなされるのが良いと僕は思う。逆に言えば、ウエンツさんがこの時の坂上さんの言葉を本当に理解できるようになったとすれば、それだけウエンツさんの中で「問題」が克服・快復していっていることになるわけである。
そんなことを思いながら見ていた。それにしても、紹介される料理やお酒がどれも美味しそうで、アカン、飲みに行きたくなってきた。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)