10月6日:書架より~『人格心理学』(3)

10月6日(日):書架より~『人格心理学』(3) 

 

 放送大学テキスト人格心理学』を読む3日目11章から15章まで読み、本書を読み終える。 

 

11「人格と適応(2)ストレス・対処」 

 適応テーマの2章目はストレスと対処(コーピング)に関するものである。両者は対概念のようなもので、つねにセットになっているものだ。僕はストレスという用語を極力使わないようにしている。従って、同じようにコーピングという言葉も使わない。それに、ストレスもコーピングも、精神分析概念で十分説明できると僕は思う。だからそれらに対しては関心が低かったのであるが、本章を読むと、少しくらいその方面のことも勉強してもいいかなと思うようになった。 

 まず、ストレスという概念から始まる。これは生理学としてのストレスと心理学におけるストレスと分けて綴られているが、大切なことだと僕は思う。物理学的な意味のストレスをそのまま心理学に用いるわけにはいかないのである。心理学におけるストレスは、まず、出来事から研究された。ストレスとなる生活体験は何か、どういう体験がストレスが強いかなどといったところから始まり、それらは混乱と高揚の概念を用いたりして述べられている。続いて、ストレスとなるのは個人の認知に影響されるということで認知面が研究の領域に入ってきた。ストレスの結果、身体的な不健康やストレス障害を生み出す。これに対して、ストレス反応を軽減する試みが個々人においてなされる。これは対処(コーピング)であるが、精神分析の防衛機制と類似の概念である。ただ、対処の方は意識的になされるところが大きい。また、対処には、問題中心の対処と情動中心の対処とがあり、脅威の程度によって、変化可能性の程度によって、両者は使い分けられている。その他、対処のように意識的な努力とは別に、ストレスを防衛する働きを有する要因として、信念、予期的情報、社会的支援の有無がある。 

 

12「人格と適応(3)別離体験」 

 生活事件において、ストレスが強度なのは、なんらかの別離体験である。精神分析ではこれを対象喪失と概念化し、喪の作業を通して克服していくことが述べられ、メランコリーではその作業がなされないという。子供の別離体験について、アンナ・フロイトらの観察、並びにボウルビイによる短期離別の過程の研究。後半は大人における離別体験、並びに、遺族に関する研究が述べられる。 

 別離体験は人間にとってたいへんな負担である。うつ病発症の契機になるものであり、その他の症状を引き起こす要因となる体験である。人格心理学的観点に関しては、別離体験からどのような人格変容がもたらされるのか、その辺りのことをもっと記載してほしかったとも思う。 

 

13「人格と適応(4)家族関係」 

 人は生まれると家族の中で生きることになる。そこが人格形成の一つの場となる。人間には他の動物とは違った特殊性があり、そのため、家族における人格形成が重要となる。また、人は生まれ育った家族(定位家族)から巣立って自分の家族(生殖家族)を持つ。両者の間に欧米では中間段階があるが、日本ではそれが見られない例も多い。定位家族において、子供は人格を形成していくことになるが、それは親の育児態度や出生順位などの影響を受ける。最後に家族をシステムとして見る立場の紹介。 

 時代の移り変わりもあるだろうと思うのだけれど、定位家族がしっかりしていない例や家族から巣立つ前に切り離される(もしくは切り離す)例が増えているように思う。育児態度と人格形成は関係するところ大だと思うが、少子化のためもあって、出生順位に関するものはあまり見られなくなってる傾向があると僕は思う。 

 

14「人格と適応(5)文化・社会」 

 人格形成に関与する要因として、生まれ育った家族の関係や雰囲気、学童期の体験や友人関係など種々あるが、文化や社会もまた人格形成に深く関わる。文化が個人に与える諸影響。ミードの古典的な比較文化研究。日米における親の発達期待の相違。また、一つの国においても、時代によって主流となる精神病が推移することもある。異文化体験によるカルチャーショックと異文化への適応不適応の問題、それは民族アイデンティティ・文化アイデンティティの問題に連なる。 

 社会学や文化人類学などの見地も重要とは思いながら、あまりそこまで手が回らず、僕の中では弱い分野だ。それだけにこういう章は重宝する。日米で親の子に対する発達期待の違いはよく言われていたものだ(と思う)が、現在の日本は日本型の個人像とアメリカ型の個人像とが混合している印象を僕は受けており、それだけに現代人は適応が難しいと僕は考えている。本書が書かれた時より時代が変わっているようにも思った。また、海外生活に強い性格・弱い性格というのは面白かった。結局は性格の柔軟性に求められるようだ。 

 

15「人格の成熟と変化」 

 性格は変わるのか。性格には恒常性の部分と変化可能性の部分がある。変化しにくいのは性格の内容的側面であり、過程的側面は変化しやすい(カンザスシティ研究より)。従来の性格観、つまり青年期に完成して、後は維持するか衰退するかといった性格観から、生涯に渡って発達・変化する性格観へ。変化にも適応的変化と不適応的変化があること。カウンセリング・心理療法は人格の成熟によって症状が克服されること。成熟した人格は、加齢によってもたらされるのではなく、人生後半の課題と結びついて達成されるものである。自己の課題に立ち向かうことの積み重ねが人格の成熟をもたらす。 

 僕は人の性格は変わるものだと信じている。何歳になってもそれは可能だと思う。性格が変わらないと信じている人は、現状の性格を維持する生を送っているからだと思う。つまり、性格を変える要因を含まない生活、今の性格を維持するのに貢献しているような生活をしているからだと思う。 

 

 以上、15章を読んだ。ざっと通読した感じであるが、それでいい。テキストに書いてあることを頭に叩き込むのも重要だとは思うけど、このことがこの辺りに書いてあったなとか、この章ではこんなことが書いてあったなとか、その程度のことが頭に入っていれば十分である。つまり、テキスト全体の地図が把握されていれば、学生のようにテストされるわけではないので、それで間に合うことが多い。疑問が出てきた時に、そのことは確かこの辺に書いてあったなと、朧気ながらでも思い出せるとそれでいい。あとはそこを紐解けばいいだけなのだから。 

 テキストという性格上、あまり面白いものではないかもしれないけれど、内容は充実していて、コンパクトにまとめられているのがありがたい。 

 

 最後に本書の執筆者は以下の通り。 

 佐々木正宏(1、3、4、5、11、12) 

 鈴木乙史(6、9、13、14、15) 

 大貫敬一(2、10) 

 清水弘司(7、8) 

 

<テキスト> 

『人格心理学(’96)』放送大学教材 

鈴木乙史・佐々木正宏 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

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