10月5日:体育会系の悪しき伝統行事

10月5日(日):体育会系の悪しき伝統行事

 今日は家の事情で仕事を休まなければならなかった。その代り、いつものように「耳学問」をしてきた。
 ある人は昔体育会系のクラブに属していて、そこでは新入部員に変なことをさせるしきたりがあったそうだ。部員をパンツ一枚の姿にさせて、グラウンドを走らせたりとか、芸をさせたりとか、おそらくどこの体育会系のクラブでも多かれ少なかれ見られる悪しき伝統行事のようなものだ。
 僕がそれをされたら、真っ先に退部して、そのクラブを廃部に追い込む。高校生活の三年間をそれだけに費やしても構わないと思う。僕はそういう人間だ。
 こういうシゴキとかイジメは通過儀礼にもならない。パンツ一丁でグラウンドを走らせるよりかは、素振りの少しもしたり、ストレッチや筋トレをして体を作ることに費やす方がよっぽどましだと思う。
 恥辱の経験をするよりも、練習を積んで勝ったという経験をしていく方がよっぽどいい。先輩は後輩にそれを教えていくべきではないかと、僕はそう思う。
 ましてや後輩が恥辱体験をしているわけだ。先輩がさせているわけだ。先輩なら後輩が恥辱体験を克服するのに力を貸すべき立場にあるはずだと思う。それが恥辱を与える側に回っているわけだから、そんな先輩は信頼されないものだ。信頼されていても、それは表面的なもので、その先輩の居ない所ではどんなことが言われていることやらだ。何一つ尊敬されることのない先輩とはそういう形で生まれるものだと僕は思う。

 僕も高校時代は陸上部だった。悪しき伝統行事の少ない部活ではあった。
 高校一年生の時だったと思う。先輩が何かで僕を誘ってくれたのだ。僕は辞退した。先輩は「お前、付き合い悪いぞ」と叱ったのだけど、僕は「構わないでください」と答えただけだ。
 当時の僕は、しなければならないこと、したいことというのがたくさんあった。それに資さない事柄は一切したくなかった。と言うより、する余裕が自分にはなかった。僕はその先輩を覚えているけれど、今でも会いたいとは思わない。尊敬できる先輩は数少なく、その他大勢の先輩を敵に回しても、好きになれる人や尊敬できる人とだけ交わりたいと、高校時代はそんな気持ちだったように思う。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 シゴキで人が強くなるとは僕は思わない。その人が強くなるのは、その人の動機づけや意志によるものだと僕は考えている。それに、自分も上からそうされたから、今度は下の人間に同じことをするというのは、単に個人的な報復である。それは憎悪であるはずなのに、そこはごまかされている。
(平成29年2月)

 

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