10月5日:人さまざま
徹夜した場合、あくまでも僕の場合はだけど、徹夜明けはまだましで、その翌日がとてもしんどい。徹夜明けのその翌日にどっと疲労感に襲われるのだ。今回の徹夜明けの翌日とは、つまり今日だ。
おまけに午前のクライアントが用事のために変更して空き時間が生じた。こうなるとダメだったね。気が緩んでしまったのか、少し遅刻してしまった。遅刻と言っても、九時半ころには職場入りしていたけれど、いつもより一時間くらい遅い。
遅刻して良かったこともある。どうせいつもより遅れているのだからと、僕は近所のコンビニに行ってタバコを買った。店前でタバコを吹かしている。いろんな人が入れ代わり立ち代わりやって来ては去っていく。電話を落とした塗装業の男性がいた。あれは解体屋さんだろうか、買い物をして車に戻ると鍵がかかっていて腹立たしそうにしていたけれど、あれは自分で施錠したのだ。そのことを忘れているんだね。仕出しの車に乗った人も来たな。灰皿の所では、僕は一瞬子供がタバコを吸っているのかと思ったが、背の低い、おまけにちょっと童顔の男性だった。彼はタバコを買うたびに年齢確認とかされるのかもしれないね。
それから駅に向かう。自転車に乗っていた女の子(小学生低学年くらいだろうか)が、前部のカゴに入れていた荷物を落としたようだった。女の子は拾い、それをカゴに詰め直している。特に困っているようでもなかったので、僕はその子の横を通り過ぎる。その30メートルほど前方で、やはり自転車に乗った女性が、振り向いてその子の方を眺めている。女の子が自転車で走り始めると、その女性は「だからそんな載せ方だったらダメって言ったでしょう」とものすごい剣幕で女の子に向かって叫んだ。
それからどうなるか見てやろうというスケベ心を起こした僕は、バス停の所でバスを待つフリをしながら、その母娘を見続けた。女の子が自転車を再びこぎ始めると、母親は先ほどの一喝をして、さっさと自転車を走らせる。急いでいるのかどうか知らないけれど、猛スピードで母親が先へ行ってしまう。可哀そうに、女の子はどんどん引き離されながらも、何とか母親に遅れまいとして、小さい足を必死に回転させてペダルをこいでいる。必死なのはその動きだけではない。女の子の顔も必死だった。母親には見えていないだろうけれど。
今日は土曜日だけれど、仕事をしている人もたくさんいる。その人たちにとってはいつもと同じ慌ただしい朝を迎えている。僕だけが例外的にのんびりしていたかもしれない。それに、あの母親にしてもそうだ。何か急ぐ事情があったのだろう。でも、もう少し余裕があった方がいいなと思う。もちろん気持ちの上での余裕だ。
ちなみに、僕はその母親を冷たいとか、あるいはそれは虐待だなどと言うつもりはない。その人の生活の一場面だけ取り上げて、その人の全体を評価するようなことは慎まなければならないと思うからだ。困ったことに、そういうことをやりたがる心理学の先生も僕は知っているけれど、本当に厚顔だと思うね。一人一人の人間はとても奥深く、ある一場面における行動を評価して、その人がこれこれこういう人間だと決定することはできないはずなのだ。でも、そういうことをして、さらにそこに心理学の理論が持ち込まれたりすると、その信憑性が増してしまう。そうして、その人は本当の姿とは異なった人間像を付与されてしまったりもする。あの母親にも違った顔があるはずなのだ。
最後に余談を。僕が躁的な方向に向かっていると、やたらと外側のことに目が向き、気づいてしまう傾向がある。それに対して、あれこれと自分の考えを展開したりする悪い癖がある。これもあんまり褒められることではないな。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)