10月31日:「革」

10月31日(月)「革」

 

 今日(30日)、午後からのクライアントが二人立て続けにキャンセルになった。それはそれで仕方がない。でも、時間が空いたことは僕にとっては嬉しかった。去年のマラソンの目標を思い出して、朝からやたらと体が疼いてならなかったからだ。雨が降っていたので、外出することもできなかったが、それでも室内でトレーニングをして過ごした。ここしばらくの運動不足で、筋力も落ちているなと実感した。恐らく、明日は筋肉痛とか起きているかもしれない。最初はそういうものを体験するものだ。少しずつ鍛えていけばいい。

 僕の家は、ある駅と次の駅の間に位置していて、通勤は近い駅から乗って、帰宅は遠い方の駅から家まで歩くようにしている。遠い近いと言っても、1キロメートルくらいしか違いがないのだけれど、それでも毎晩歩くようにしている。そこで歩いているから脚力はそれほど衰えてはいないだろうと自惚れていたのだけれど、実際、スクワットとかやってみると、結構、きつかった。きちんと鍛えないといけないものなのだなと僕は思った。

 最近、易経を勉強している。ユングの本などで度々登場するので、いつか読んでみたいなと思っていたのである。それに、東洋思想を遡って行くと、この易経に行き着くようである。前々から興味があったけれど、実際に勉強するようになったのは、先週読んだフィリップ・K・ディック高い城の男の影響である。それでここ一週間ほど易経を勉強していて、自己流の占い方を試みている。自己流と言っても、ディックの小説で登場人物がしていた三枚のコインを使うやり方なのだけど。それで占うと、今日は「革」が出たのである。何かを変えるために、何かを始めるのに適した卦であるようだ。これは幸先がいいぞと思っている。

 僕は中学、高校と陸上部で走っていた。中学時代は兄の影響だった。兄も同じように中学、高校と陸上部で走っていた。兄は大学でも陸上部だった。そこだけは兄と違う。中学を終えた時、僕はもう陸上はしないでおこうと思った時期があった。でも、僕はどうしても兄を追い越さなければならなかったのだ。そうでないと、僕は存在できないように感じていたのだ。一つでも何かで兄を追い抜かなければならなかったのだ。それで高校に入っても、やはり陸上部に入部したのだ。いつか、この時の体験も書いてみたいと思っているけれど、とにかく、僕が走るのはすべて兄の影響からだったのだ。だから、自分のために走ってみたいという気持ちが、いつ頃からか生じていたのだ。数年前から、僕はもう一度走れるだろうかということが気になり始めていた。そして、漠然とではあるけれど、一生の間に一度、フルマラソンを走ってみたいということを考えるようになっていたのだ。

 三十歳の時に始めた山歩きは一つの妥協策だったように思う。当時は、もう自分は走れる体ではないなということを認めていたし、走ることはほとんど断念していた時期だった。そこで妥協策として山歩きを選んだという部分もある。もちろん、山歩きは好きだったし、一時期はひどく熱中したものである。でも、昔も今も、闘争や葛藤のためではなく、自分のためにそういうことをしたいと思っているのである。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

(付記)

 どうかこれをお読みのあなたもご自身を振り返ってみて欲しい。純粋に自分のためにやったということがどれだけあるだろうか。僕は自分ではそれがそれほど多くないと思っている。勉強も、あのクライアントと面接を続けるためとか、将来こういうことに役立つだろうからとか、そういう打算的な目的でやっていることが多い。純粋に自分のためにそれをするという体験は、子供にしかできないことかもしれないな。

(平成25年8月)

 

 

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