10月30日(土):誕生日
何を隠そう、今日は僕の誕生日だ。50歳になった。ずいぶん長生きしたものだと思う。
50回目の誕生日なので、今日会うクライアントはすごく印象に残るだろうなと期待していたのだけれど、まさかのキャンセルだ。まあ、具合が悪いそうだから無理に来談することもない。
こうして午前中は空きが生まれた。ひたすら原稿を書く。このサイト用の原稿だ。10時前から12時過ぎくらいまで一心不乱に書いた。とは言え、A4用紙にして10枚程度しか書けなかったけれど。
ものすごく目が疲れた。激しくめまいがして、こりゃヤバイと思った。少しだけ横になる。20分ほど休息するとラクになってきた。
昼休み時間に突入した。腹は減っているものの、何も食べようという気にもなれない。午後の予定の後に食べようと思う。再びパソコンの前に。そしてこのブログを書いているという次第だ。
繰り返すけど、もう50歳だ。もうそろそろ人生終えてもいいのかなという気持ちになっている。とは言え、自殺するとかは考えていない。僕の命は僕のものではなく、僕が僕の命のものなのだ。命が僕を手放したら死を迎えることになる。今のところ、命が僕をガッチリ捕まえて放さないのでこうして生きているだけである。生きている以上、生きなければならないのである。
ワクチンも打たないといけないなとは思うものの、なんか、ワクチン打ったら死んでしまいそうな気がする。ワクチンがある程度安全に作られているのは分かるんだけれど、本当に打っていい体なのだろうかという心配がある。ワクチンよりも、体の方の心配だ。
体と言えば、数日前から膝がやたらと痛む。季節の変わり目であるからかもしれないが、また膝が変形するのかも。激しい痛みの後は膝の形が変わってるような気がする。実際、変形はすでに見られている。だんだん体もダメになっていく。
ああ、それにしても膝が痛い。こうして座っていても痛みが込み上げてくる。屈伸する時も痛いけれど、同じ姿勢でじっとしているのもキツイ。大切なことは、どんな体になろうとも生きることだ。精神が生きることだ。
書いていてもあんまりいい話は出てこないな。残りの人生は本を読んで過ごしたいものだ。人間とは何であって何でないか、もっと知りたい。もっと学びたい。もっと言えば、精神とはどういうものであるかを知りたい。精神の神秘をいつか理解する日が来るだろうか。それとも一生を棒に振るようなことをしているのだろうか。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)