10月27日:町で見かけた人たち

10月27日(木)町で見かけた人たち

 

 一昨日、僕が外回りをした時、道端でギャーギャーわめいているおじさんを見た。最初はケータイで話しているのだろうと思ったのだけれど、よく見ると、おじさんの独り言である。それも怒気を含んでいたので、僕はあまり近寄らないようにしていた。ケンカでもふっかけられたら面倒だと思った。だから、おじさんから少し離れて、おじさんの視界に入らないようにして、おじさんの言っていることを聞いていた。なかなか面白い話だった。

 最初はまず「アポロは神だった」ということから始まる。と言うか、僕が聞き始めたのがたまたまその箇所からだったのだ。彼は、アポロは神であり、神であるアポロがどのような目に遭ったかを声高に訴える。

 次に、恐らく宇宙船のアポロへと連想が広がったのだろうと思う。そこから話は外国のことになる。そして神つながりだろうと思うが、話は西洋のキリスト教のことに移っていく。そして西洋文明に対しての怒りが炸裂する。

 その間にここが京都であるということを訴える。西洋キリスト教から中断が生じたのだけど、目が現地点に向いたことが手伝って、キリスト教の話はどこかに消え、代わりに仏教のことが表に出てくる。そして、禅というのは武器であるということを訴える。禅が武器だとは僕は思わないが、これは先の神であるアポロの戦いの連想が後を引いているようである。迫害されることに対して、宗教が武器になっていたのだということを言おうとしていたのだろうと思う。

 こうして見ると、何かの闘争場面が彼の中で展開されているようである。こういう独語の合間合間に、「オイコラ!」とか「何さらすんじゃ!」といったケンカ言葉が挿入される。もちろん、これは見えない相手に向かってケンカを吹っかけているのである。この見えない迫害者(彼には見えているのだろう)を追い出すためのケンカなのだろうと僕は思う。そして迫害されたアポロ神やキリスト教がこれに関連して彼の中に生じているのだろう。

 しかし、彼がどこまで本気で見えない迫害者と戦っていたのかは不明である。彼が「それでええんか、コラッ!」と怒鳴った後、「ええんか言うてもな、演歌ちゃうぞ!」とダジャレみたいなことを言った時、僕は鼻からジュースを噴き出しそうになった。そして「演歌とはな」と続いて、演歌についての説明が挿入されるのである。ダジャレのつもりじゃなくても、連想が飛躍するのだろう。

 このおじさんの周りには人がいない。みんな避けているのである。そして僕がいる辺りは人で密集している有様である。確かに関わり合いたくないタイプの人であるだろう。彼の独語を熱心に聴いている奇人は僕くらいのものではなかっただろうか。

 

 また、午後のことであるが、喫茶店に入ったのだけど、そこでケータイで大声で話す男性を見た。席が離れていたとは言え、彼の声が大きいので、話が僕の所まで筒抜けである。聞いた限りでは、どうも彼の仕事が上手くいっていないらしい。二十代半ばくらいの若い男性だった。とてもイライラされている様子だった。仕事が順調にいかないということには僕は共鳴できるけれど、彼を見ていて、あれではいい仕事はできないだろうなと思った。

 他にも何人か観察した人もいたのだけれど、そういう人を見て僕がいつも思うのは、生き難い人たちがけっこういるものだなということである。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

(付記)

 こういう人たちがいたなあ。読み返して、思い出す。

 独りで喚き散らしているおじさんは、迫害される側の体験をしているのだろう。連想が飛躍するのは観念奔逸と呼ばれるものだ。でも、よくよく聴いていると関連が多少なりともあるのが分かる。

(平成25年6月)

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