10月26日(土):期日前投票顛末記
夜勤明け。少し遠方の店舗で働いていた。徒歩で帰宅。ついあちこち寄り道してしまう。真っ直ぐ帰ればいいのにと思いながら。
帰宅してもすぐに寝ないで、映画鑑賞する。なんとなく一日を終えることに抵抗感があるのか、少しでも何かをしておきたい気持だった。ただ、映画の方は最後の方で寝落ちしてしまったけれど。
昼頃、居間に降りる。母は吉本新喜劇を観てる。僕も昼食(か何食か分からないけれど)を食べながら何気なく見てる。池乃めだかさんもだいぶん年を召されたな。でも、まだ現役で舞台に立ってるのはすごいなと思い、また、羨ましいとも思った。僕も本当は長生きしたいし、生涯現役でありたいと思っている。現実は難しいだろうな。
テレビの途中で母が「あんた、選挙に行きや」と声をかけた。ああ、そうだ、選挙に行っておかないと。すっかり忘れていた。
忘れていたのはもう一つあった。昨日が期日の支払いがあったのだ。忘れないようにと食卓に置いてあった。食事のたびに目にしているはずなのに、案の定、忘れてしまった。ついでにそれもコンビニで支払っておこう。ただ、非常に面倒くさいなと思っていた。
支払い用紙と選挙用紙をポケットに突っ込んで家を出る。
先に支払いを済ませる。期日が25日まででも、一日くらいは余裕が持たせてあるものだ。滞りなく支払いを済ませる。いや、そうでもなかったな。僕の前の客がけっこう長かった。レジで少し待たされることになった。あかん、トイレを催してきた。
そこのコンビニでトイレを借りてもよかったのだけれど、用事を早く済ませておきたかった。選挙会場はすぐ近くなので、さっさと選挙を済ませてしまおうと思ったわけだ。これが失敗だった。
土曜日ということもあるのだろう、選挙に長蛇の列ができている。いつも期日前投票する時はほとんど待ち時間無しで行けるのだが、その感覚でいたのが間違いだった。先にトイレに行こうかと思ったが、係りの人に促されて、そのまま列に並んでしまった。
列に並んで待つ時間の長いこと。いや、現実はそんなに長くなかったはず。ただ、長いように僕に感じられたということだ。
僕の順番が来た。あとは早いものだ。誰に投票するか、どの党に投票するか、明確には決まってなかった。決まっていたのは自民党以外ということだ。自民党以外だったら、誰に、あるいはどの党に投票しても構わないくらいの気持だった。
選挙を終え、会場を出る。あろうことかトイレと反対側に出ることになった。あの行列の最後尾辺りにトイレがあったのだ。もう一度戻ろうかと思ったが、間違えて行列に並ばされそうに思い、また、係りの人の手を煩わしてしまいそうなのも気が引ける。えい、もう少し我慢して家まで帰ろう。
建物の出口で出口調査している人がいた。某新聞社の人だ。ああ、そうだ。一度、出口調査に捕まってみたいと思っていたのだ。これまで、たまにそういう人を見かけたことはあるのだけれど、捕まることはなかった。それなのに今日に限って捕まった。僕は「すいません、急いでいるもので(本当は「切羽詰まってるので」と言いたいところだ)」と言って、そそくさと家に向かう。せっかくの機会だったのに。
家に着いて、いの一番にトイレに駆け込む。ふう、投票に行くのもひと仕事だ。まあ、僕が勝手にひと仕事にしてしまってるだけなんだけれど。
まあ、でも選挙は行っておいてよかった。とにかく自民党に勝たせてはいけない。僕の中でそれだけは確実だった。自民党にはウンザリだし、コリゴリだ。
自民党をはじめ、政治家にはマトモなのがいないと僕は思っている。それはちょっと言い過ぎかもしれないけれど。マトモなのも中にはいるのだろうけれど、マトモじゃないのが前面に出てき過ぎなのだ。マトモな人たちがそれで影が薄い存在になっているのかもしれない。
いずれにしても、30年も成長がなかった国だ。すべて自民党が悪いとも僕は言わないけれど、その一因を担っていることは確かだ。日本はすっかり貧しい国になってしまった。
京都は外国人観光客が多い。それで賑わっているし、潤っているように思われるかもしれない。確かにそういう面も無いことはない。こういう表現は好ましくないのだけれど、僕の正直なところを言わせてもらうと、それは乞食に身を落として富裕層からお恵みをちょうだいしている姿に見えてしまうのだ。
外国人からは、日本は安い国だとみなされている。日本企業が海外企業から買収されるなんて話もあるし、外国の会社が日本で支部を出したり工場を作ったりもする。それもこれも日本が安いからである。
日本では貧富の格差が広がったと言われるが、日本の富裕層は諸外国から見れば大したものではないだろうと思う。日本の国民全員が貧困なのだ。世界から見れば、日本は下の方で、その中で上とか下とか言ってるだけかもしれない。こんな国の国民の一人であることは、むしろ恥である。日本はこの状況から抜け出さないといけないし、僕が生きているうちにそれが実現してほしいと願う。まあ、無理だろうな。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)