10月22日:ミステリバカにクスリなし~『一寸法師』 

10月22日ミステリバカにクスリなし~『一寸法師 

 

<乱歩を読む~『一寸法師』> 

 

 江戸川乱歩とは不思議な人である。研究したい作家の一人だ。 

 

 大正12年に「二銭銅貨」で江戸川乱歩は世に出た。新聞社に勤務しながら短編小説を発表していたが、大正13年に退職し、専業作家となる。 

 翌大正14年には、一気に創作意欲が爆発したかのように、数多くの短編を世に出す。その中には「D坂の殺人事件」「心理試験」「屋根裏の散歩者」などの名作が含まれている。 

 翌年の大正15年・昭和元年も引き続き短編小説を執筆するが、長編小説にも手を染めるようになる。この年、実に五つの長編小説を手掛けている。まず「空気男」「湖畔亭殺人事件」「闇に蠢く」の三篇を並行して書き進めるが。完成したのは「湖畔亭」のみで、あとは中絶している。「闇に蠢く」は後に完結部分を書き足して、一応完成はさせている。その年の後半には、「パノラマ島奇談」と「一寸法師」を並行して執筆し、翌昭和2年にそれぞれ完成しているが、「一寸法師」の出来栄えにひどい自己嫌悪に陥った乱歩は、その後、一年半にわたり筆を断ち、放浪の旅に出たりしている。 

 そういう曰くつきの長編「一寸法師」とはどのような作品なのか。その後、映画化もされて、乱歩作品の映像化第一号となった作品でもあり、果たして乱歩が失望するほどの作品だったのだろうか。 

 

 物語は職もなく、厭世的な小林紋三が、深夜に一寸法師を見かけるところから始まる。その一寸法師は死人の腕を抱えており、俄然、興味を抱いた紋三はその後をつけるが、その晩は見失う。翌朝、一寸法師の行方を調べるが、手がかりがまるでない。その時、実業家を夫にもつ山野夫人に声をかけられる。夫人は義理の娘の三千子が失踪し、紋三をつてに探偵の明智小五郎に調査を依頼したいと願っていたのだ。こうして明智小五郎がこの事件に関与することになるのだが、三千子の失踪は単なる家出ではなく、事件性があることが明るみになる。その頃、一寸法師が再び姿を見せる。デパートのマネキンの腕を死人の腕とすり替え、追跡する警備員たちから逃げおおすという離れ業を見せる。 

 三千子の殺人事件を軸に、山野家の運転手蕗屋と三千子の関係、読者の前にまったく姿を見せぬお手伝いの小松と主人の山野など疑わしい人物を配し、脅迫される山野夫人、一寸法師の背後にいる黒幕の存在、さらに素人探偵ぶりを発揮する紋三の活躍など、スリリングに物語は進行する。なかなか良く出来た探偵小説ではないかと僕は思う。 

 

 本作は明智小五郎が活躍する作品だが、どういうわけか物語の中ではその存在感は薄いと感じた。 

 それよりも、僕は小林紋三のようなキャラがとても好きだ。乱歩の作品にはこのタイプのキャラが頻繁に登場する。職もなく、ブラブラして、人生に退屈し、厭世的で世捨て人のような人物だ。こうした人物がひとたび事件に関与すると、途端に活き活きしはじめ、活動的になり、素人探偵として冒険に乗り出す。 

 悪役もまた然りである。明智探偵が静であるのに対して、作品に躍動感をもたらしているのは紋三であり、一寸法師である。紋三や一寸法師を描く時の方が、乱歩の筆が冴えているように僕は感じた。むしろ、主人公である明智小五郎が登場する場面の方が、読んでいて、退屈感があった。 

 

 さて、本作は乱歩が嫌悪するほどの駄作ではないのだが、難点もいくつかある。 

 一つは養源寺和尚の身体的特徴がきちんと描かれていないという点。これはいささかアンフェアな感じである。 

 当時、乱歩は探偵小説を謎解きに主眼を置く「本格」とそれ以外の広義の探偵小説に属するものを「変格」と二分していたのだが、本作はそのどちらにも属さないような中途半端さがあるように感じた。 

 結末のどんでん返しが凝り過ぎていることもすっきりしない感じが残る。また、一作にたくさんの内容を詰め込み過ぎているという印象も受ける。却ってまとまりを欠くようにも感じられた。 

 

 乱歩が嫌悪するのは、この作品そのものではなく、もっと個人的な事情によるものだろうと思う。内面的な部分、パーソナルな部分を作品の中に持ち込み過ぎたために、自分のイヤな面を作品の中に見てしまうのだろうと思う。 

 そうして、乱歩は筆を断つのであるが、昭和3年には傑作「陰獣」でもって文壇にカムバックするのだから、この休筆期間も無意味ではなかったと僕は思う。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

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