10月21日:はっきりしないのは困りもの
昨夜は夜勤の予定だったが、シフトでは今日と入れ替わっていた。日曜日の晩は夜勤と前々から言ってあるのだが、シフトを作成した人が間違えたのだろう。月曜日に夜勤となっていた。当然、それは断った。と言うのは、今夜は今夜で予定が入っているからである。それがなければ夜勤をしても良かったのだが。
しかし、今夜の予定も今日の最終のクライアントの予定次第で若干変更しなければならない。今、その最終のクライアントを待っているところだ。来るのか来ないのか意思表示をしてもらいたいものだ。
Yさんとも明日会うか会わないかを決めてもらっていたのだが、今日考えて、明日返事するというメールが入った。僕はそれは困るのだ。明日、Yさんと会うか、業者とやりとりするかを決めないといけないのだ。はっきりしないのは本当に困る。
一体、人の時間をなんだと思っているんだろうかと言いたくなるね。クライアントの場合、自我が未成熟な人ほど、こういう不明瞭なことをしでかすものだ。成熟している人はそれなりに自分の意志を伝えることができるし、その都度の自分の態度を決定することができるからだ。カウンセリングを自分の仕事と決めた時、そういう人たちとお会いすることになるということは覚悟していたが、日によってはやはり困ることが生じるものだ。
クライアントにはクライアントの生活がある。忙しいから遅れたり、変更したりするという場合も確かにある。しかし、大部分はそこにクライアントの不安定さが現れているのだ。来たり来なかったり、時間よりもやたらと早く来たり、すごく遅れてきたり、それらはすべて「病理」なのだ。枠組みの所でも書いているけれど、予約は遂行されるか、変更されるか、キャンセルされるかしなければならない。それもクライアントによってなされなければならないものだ。そして、クライアントには無断キャンセルする自由も権利もないのだ。それはお互いの利益を守るためにも必要な事項なのだ。これが分かってもらえないというのは、なんとも歯がゆい感じがする。常識的なことを僕は述べているつもりなのだが、厳しいことを言っているように聞こえるのだろうか。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)