10月2日(土):命というもの
昼間、少し外出する。その辺を歩いたに過ぎないものだが、緊急事態宣言の解除もあっていつもより少し人通りが多いかなという気もした。とは言え、先月までとあまり変わらない風景だ。少しだけ人が多いという印象だ。
いずれそのうち再度緊急事態宣言が発令されるだろう。その時は、おそらく、今と変わらない人通り、今とほとんど変わらない情景が広がっていることだろうと思う。何も変わらないし、何も変えることのできない国だという感じがしている。
岸田政権になっても、結局はアベ政権の延長でしかない。アベ政権は日本の貧困化を推進した。これはOECDのランキングにはっきり現れている。僕の個人的感情抜きで証明されていることである。
経済が下向いている中でのコロナ禍だ。そうして五体満足な店主が営業できないなんてことになっているわけだ。働くことができるのに働くことが禁じられているのだ。今でも従来通りの営業ができないところも数多くある。飲食関係はそうだ。旅行業界もそうである。イベント関係、芸術芸能関係もそうであろう。おそらく、影響を受けていないという業種は一つもないだろう。
この危機をみんなで乗り切ろう、などとスローガンを掲げるのもけっこうである。乗り切った矢先に次の危機が来る、あるいは今の危機を乗り切る以前に次の危機がすでにやって来ている、こんな状況で「乗り切った」なんてことが本当に言える人がどこにいるだろう。危機を乗り切るということがどういうことであるのか、本当に分かっている人がどれだけいるだろうか。
政治家なんて当てにできない。国民の命は自分が守るなどということを平気で口にするのだ。命を何だと思っているのだろう。
医療従事者で自分は人の命を預かる仕事をしているなどと豪語するヤツを僕は信用しない。同じ理由だ。命を何だと心得ているのだろうか。
僕のクライアントでも、僕は人の命を預かる仕事をしているのだからもっとなんとかしろと言った人がある。どうぞ他所へ行ってくださいという他はない。僕は人の命なんか与った覚えがないからだ。
そもそも、人は自分の命は自分のものだと信じ切っていることが多い。逆である。僕が僕の命を有しているのではなく、命が僕を有しているのである。命が根源にあるので、それは誰の手にもわたることはないのだ。人の命を預かるとか、人の命を守るとか、そういうことを平気で言える人は、よく言えば思い上がり、悪く言えば自分を神仏以上とみなしているということだ。失敗した実存様式であると僕は思っている。
さて、命が僕をまだ捕まえて放さないからこうして生きている。いつ手放してくれてもいいと思っている。命に自由を戻してやりたい気持ちもある。今のところ、命の方が僕を解放してくれないので、こうして実存しているのだ。実存している以上、生きていくほかにないのだ。生きていくためには苦しいことにも耐えなければならないから耐えるのだ。どんな状況でも、とにかく生きるほかないのだ。
命というものは、とかく厄介だ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)