10月2日:「うつ病」的生き方 

10月2日:「うつ病」的生き方 

 

 たいへんな疲労感に襲われ続けた一日だった。クライアントと面接していて、本当に寝てしまいそうになった。絶えず睡魔に襲われている。 

 いろんなことが気にかかっている。僕個人のことであれ、仕事のことであれ、クライアントのことであれ、いろんなものが圧し掛かってくるかのよう。一つ一つ片づけて、解放されていきたいのだけれど、解放された矢先に次の何かが圧し掛かってくる。こういうのを一生続けるのだろうな。 

 

 僕は性格的に「うつ病」型の性格傾向を有している。これは自分でもよく分かる。いろんなことが、あたかも「義務」のように圧し掛かってくるかのように体験しているというのも、「うつ病」性格の特徴だ。 

 「うつ病」について勉強することは、僕にとっては、僕自身について勉強していることに等しい。「うつ病」は「病気」ではなく、一つの生き方でもあると僕は信じているのだけれど、どれもこれも「うつ病」を災厄のように論じているので腹立たしい。 

 最近、そんな中で、クレッチマーがいいなと感じることが増えた。この人は体格と気質(精神病のタイプ)との関連を研究した人として、あるいは敏感関係妄想の研究で特に有名だけれど、「うつ病」(循環気質)に関して、とても肯定的な見方をしているなと気づいたのだ。クレッチマーをもっと勉強したい。 

 

 とてもしんどい。体調も芳しくない。疲労感は激しいし、頭がきちんと働かない感じがしている。まだ、僕は僕の「うつ病相」に居るのかもしれないな。この「病相」を、僕は「ここいらで少し休め」というメッセージとして受け止めるようにしている。飛ばし過ぎる僕に警鐘を鳴らしてくれるものだと捉えている。だから、僕は「うつ病」的であることを止めたくないとも思う。 

 「うつ病」と言えば、チャイコフスキーもそうだったと言われている。確かにチャイコフスキーの曲の中には「うつ病」的な雰囲気の作品も多い。他にも作曲家にも文学者にも「うつ病」の人は多い。その手段にもよるけれど、自殺で生涯を終えたというような天才は「うつ病」の可能性が高いと僕は思うのだけれど、調べてみると、けっこうな数の人がおられるものだ。 

 僕はこう思う。才能のある「うつ病」者は、素晴らしい作品を残すものだと。その几帳面さで熱心に作品に取り掛かるし、その同調性格から人に受け入れられるような作品に仕上げるからである。分裂病(統合失調症)や人格障害の天才は、その作品に奇抜さがあったりして、後世で再評価されるような作品を作るというイメージが僕にはある。とにかく、「うつ病」とその方面の才能が備わっていれば、その人は優れた業績を残すだろうと僕は考えている。 

 生憎、僕には「病」だけあって、才能の方はゼロという、一番最悪のパターンじゃないかと自分では思っている。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

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