10月19日:「おばさん」の死

10月19日(日):「おばさん」の死

 先日、親戚の「おばさん」が亡くなった。もう高齢で、尚且つここ数年、体を悪くしておられたので、長くないとは聞いていたけれど、とうとう人生を全うされた。
 「おばさん」と「 」付きで表記しているのは、僕の中に距離を置きたいという気持ちがあるからだ。
 この「おばさん」夫婦には子供がなかった。理由を僕は知らない。僕の両親に二人目の子供が産まれて、「おばさん」はこの子を養子に貰いたいと言ってきたそうだ。この子が、つまり僕なのだ。
 母から何度かその話を聞いたことがある。不思議なことに僕にはまったく記憶にない。なんでも、親が僕に今度からあちらのOさんの子供になるかと訊いて、僕が激しく泣き叫んで「いやだ~」と抵抗したらしい。その後、僕はとても不安定になったらしい。僕にとっては大事件なはずなのに、まるで記憶にない。
 この話を母から教えてもらって以来、僕の中であの「おばさん」に抵抗感のようなものがあった。どこか親しめなくなり、距離を置きたがっている僕がいた。
 母も僕を譲り渡す話があってから、ずっと罪悪感を抱えながら僕を育てたようだ。時々、当時のことを謝ってくれる。僕はもう謝って欲しいとは思っていないのだけど。
 「おばさん」はどういう思いで僕を欲しがったのだろう。子供を産むことのできる人への嫉妬心からだったのだろうか、自分には一人の子も与えられず身近の人には二人目が生まれる不公平感に憤ってのことだろうか。
 いや、子供が欲しいのなら、親のいる子供ではなく、親のいない子供を引き取ってもいいはずだ。ましてや、「おばさん」は、僕の兄ではなく、僕を指定しているわけだ。僕でなければならなかった理由があると僕は思っている。本当にどういう気持ちからだったのだろう。
 本当はいつかそれを確かめてみたいと思っていた。もう果たせなくなったけれど、僕の臆病なために、ついに確かめることなく終わってしまった。
 すっきりしないのはその点だと僕は気づいている。もし、自分がモノのようにやりとりされようとしていたのだとしたら、それこそ僕には認めたくない事実なのだ。いや、この事実に直面してしまうことを本当は恐れていたのかもしれない。モノのように取引しようとしていたのだとしたら、僕は自分があまりに惨めな存在に堕してしまったように感じてしまうからだ。だからそれを知ることを回避していたのだと思う。
 亡くなってしまった人を恨むことはしないし、「おばさん」への感情も僕が大人になるにつれて薄れていったのだけれど、なんとなく心残りを感じる。
 今になって思うのは、子供は不幸を体験することよりも、事実を知らされないということの方がはるかに不幸なことだということだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 僕は親たちを恨まない。この「おばさん」夫婦のことも恨まない。僕はあの時一度捨てられた人間だと、今ではそう受け入れている。僕はそこから生き直そうとしている。
(平成29年2月)

 

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