10月17日:人間本来の姿
今朝、サイトの更新作業をしようと画面を開いた。作業をするも、更新できない。ログイン画面がいちいち出てくるのだ。それはまだ許せる。その都度クリックすれば済むだけの話だからだ。でも、更新がブロックされてしまうのは困ったものだ。業者に連絡する。原因を調べるということだが、その報告は来週になりそうだ。それまでは手の付けようがない。
万事がこんな調子だ。何かをやろうとすれば、妨害が入る。それも僕が招いたものではない。僕の範囲外で生じている妨害だ。
クライアントから電話がかかってくる予定だった。僕は電話の前で待機している。電話が鳴る。その人からの電話と思い、勢いよく受話器を取る。掛けてきたのは全然関係のない業者だった。僕はさっさと電話を切る。その人が掛けてきた時に話し中でつながらなかったでは申し訳ないと思うからだ。
いろんなことが足枷のように付いて回る。夜勤もそうだし、親の家業の方もそうだ。計画を立てて効率よくこなそうとしても、他の事が割り込んでくる。今日もこの後夜勤を控えている。本当は、勉強したい事柄があって、そちらに時間を割きたいのだけれど。
何事も自分の思うようにはいかないものだと、つくづく思う。これに耐えないといけない。子供はこれに耐えられないからだ。大人になっていくためには、そういうことに耐えられるようにならないといけない。頭ではそうと分かっているのだけれど、それでもキツイと感じることがある。腹が立つ時もある。僕の未熟さ故に。
今週の土曜日に急用が入った。僕は仕事を休まないといけなくなった。そのためにクライアントに日時の変更をお願いしているのだ。サイトにもそのことを掲げようと思っていたのだが、先述のように、それも不可となった。
明日は朝から出かける予定だ。これは僕の趣味みたいな用事で、中止してもいいのだけれど、前々から決めていたことなので、中止すると後悔しそうに思う。だから、明日はそれに行こうと思う。徹夜明けで行こうと思う。それまで、どうか妨害が入らないことを祈っている。
こんなことを書いているけれど、こういう体験も僕だけではないはず。考えてみると、人の生とはこういうものかもしれない。外側のことに振り回されたり妨害されたりしながら、自分の思うようにいかない状況の中で、どうにか一つ一つをこなしていく。一つ済んで、それで終わりというわけにもいかず、次の一つが圧し掛かってくる。
キラキラ輝く自分とか、順風満帆な生とか、そういうのは嘘っぱちだと僕は思う。そういうことを掲げる人に対して、僕はもっと泥臭く生きてみないかと勧めたい。地べたに這いつくばって必死に生きる。幼児のように。それが人間の本来の姿なのかもしれないと、最近は思う。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)