10月15日:無為な一日 

10月15日:無為な一日 

 

 夜勤明けの休日。当初の予定では職場に出て、サイト作業をしようと計画していた。ところが、この夜勤でやたらとイライラして、内面が騒がしく、とても落ち着いて作業ができるような気分ではなかった。もちろん、イライラの要因がいくつも意識化されている。 

 一つは足の具合がよくなかったことだ。それに夜勤での出来事が三つほどある。僕にやる気が湧いていなかったことと、他のバイトのミスや仕事ぶりに頭に来ていたこと、それと酔っ払いに絡まれたことだ。最後のは別にケンカを吹っかけられたとかいう意味ではなく、単に長々と話しこまれただけだ。 

 夜勤もウンザリしている。店長への義理から続けているけれど、もう辞めたい。その話もまだついていない。無理をしてでも頑張ろうという気持ちもない。店長の他に、一応上の立場のパートの人たちが何人かいるのだけれど、商売のことはまったく分かっていなくて、客目線で物ごとが考えられなく、経営の感覚や知識もなく、ただ自分たちのルールをバイトに従わせようと躍起になっているような連中だ。下らなすぎて、一緒に仕事をする気も起きない。本質的な部分が見えていない人たちなのだ。 

 店に来る酔っ払いにも迷惑している。酒飲みは本当に迷惑だ。困ったことに自分たちが迷惑をかけているということに彼らは気づかない。素面に帰っても尚、気づかない人もいて、非常に厄介だ。僕も酒呑みだけれど、今日は飲もうという気にならなかった。普段なら、こんな気分の時は酒を飲んでいただろうけれど、今日は飲む気にならなかったのだ。酒のことよりも、酔っ払いたちのイヤな姿の方が脳裏に浮かんで、彼らと一緒になりたくないという思いの方が強かった。 

 夜勤の後、河原町の方へ出た。特に何をする目的もない。ただ、単にブラブラ歩きたかっただけだ。疲れたら喫茶店に入って、本を読む。読むけれど、今日は頭に入らない。徹夜明けでも読めるのだけれど、今日は文字だけ追っていて、頭に入らない読書だった。 

 朝食とも昼食ともつかない食事をする。あまり美味しいとは感じなかった。これは僕の気分のせいだろう。味わって食べている感じがしなかった。だからお店の名前は出さないでおこう。違った気分の時に食べたら美味しいと感じたかもしれないから。 

 古書店に入る。ジャン・ジャック・ルソーに関する薄い本を購入して読み始める。「孤独な散歩者の夢想」は読んだことがあるけれど、あまり覚えていない。「人間不平等起源論」や「エミール」は名前しか知らない。その程度だ。何となく購入して読み始める。すごく面白い。ルソーに興味を持ち始める。 

 夕方、帰宅する。気分は多少落ち着いているものの、一日を無為に過ごした感じに襲われている。ルソーだけは収穫だったかもしれない。美味しいと感じられないのなら食事もしなければ良かった。サイト作業をしていた方が良かったかもしれない。 

 帰宅して音楽を聴く。昔から好きだったけれど、最近特に70年代から80年代の洋楽、それもハードロック系の音楽を聴く。その後、夕食をとり、無為で長かった一日を終えようと思う。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

 

 

 

関連記事

PAGE TOP