10月11日:物の値段 

10月11日(水):物の値段 

 

 昨晩から今朝にかけてはローソンでバイト。またまた面倒な客と遭遇だ。 

 高齢の男性だ。130円ほどのパンを1個購入しようとしたのだ。最初に来た時はクレジットで支払うと言う。ところがクレジットが通らない。何度試みられても通らない。130円の残高もないのかよ、と僕は思った。男性客は購入をキャンセルして一旦店外に出た。 

 しばらくするとその男性が戻ってきて、同じパンを手にしてレジに来た。ポイントで払うと言う。30ポイントほどある。残りは現金で払うのかと思ったら、交通系電子マネーで支払うという。それでも足りない。あるだけ支払うと言う。そして最後に不足額の50円程度を現金で支払った。130円のパンを買うのに、ポイント、電子マネー、現金だ。この人はどんな生活をしているのだろうとさえ思ってしまった。 

 

 物価も上がっていることは確かである。ラーメン業界では1000円の壁があるという。一杯のラーメンに1000円以上の値段がつくと売れなくなるそうだ。後で述べるけれど、僕はそうとも思わないのだが。 

 でも、カップ麺が一つ200円を超えるとちょっと抵抗感を覚えてしまう。かつて150円くらいで買うことのできていた品が250円とかの値段がついていたりすると、値上がりを実感してしまう。ちょっと買う気が引いてしまう。 

 値上がり感をごまかすため(というわけでもないだろうけれど)に、豪華な感じを出すとか、有名店とコラボするとか、メーカーさんもさまざまな工夫を凝らしておられるものだが、カップ麺が200円台、300円台とか、なかなか手を出そうという気になれない。 

 その他、ポテトチップス系のスナック菓子も一袋200円を超えると売れが悪いような気がしている。この手の商品は売り場のスペースをけっこう取るのである。新商品を入れるためには既存の商品を売り切ってしまわないといけないのだ。「これ、早く売り切ってほしいな」と僕が思う品はたいてい200円超えしているので、そういう印象を受けるのだ。 

 トータルというか、客単価で言うと、僕が20代後半の頃では800円くらいの人が多かったように思う。弁当にお茶に、ちょっとしたお菓子なんかをつけて800円台ないしは1000円以内といった感じだ。今、けっこうな頻度で2000円越え、3000円越えするお客さんもみかける。買い物の量もあるんだけれど、それだけ物価も高騰しているということだ。 

 

 そう言えば、最近、母が「玉子298円も慣れてきたわ」なんてことを言っていたのを思い出した。かつては98円くらいだったのに、その当時よりも3倍近く値上がりしているわけだが、それにも慣れてきたという。そんなものだと思う。 

 ラーメンが一杯1000円を超えても、全体がそうなれば、やがて人は慣れるものである。値上がりした当初は買い控えとか起きるかもしれないけれど、やがてその値段で買うようになるのだ。買う・買わないは、値段で決めるものではないからだ。人間は自分の欲求でそれを決めているわけだから、その欲求を持っている限り、値段が上がろうと購入するものだ。そして、その値段に慣れていくものだ。 

 僕の喫っているタバコも、かつては280円くらいで買えていたものだ。今では570円だ。倍の値段だ。それでも相変わらず喫っているし、普通に570円出している。いつしかその値段に慣れるものだ。人間の精神は意外と速やかに外界に順応するものだけれど、こんなところにもその証拠を見る思いがする。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

 

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